挑戦者: |
ヒライ キヨタカ
平井 清隆 |
レース: |
第30回サハラマラソン |
どのような目標を掲げてサハラマラソンに参加するのか。目標の設定如何により装備内容、練習方法・期間など、事前準備が異なってくるため、この点を予め明確にする必要があると思いました。私の場合は、タイムや順位を気にせず、どのようなことがあっても時間内完走を果たすということ、そして、その上で走り、歩くことにより、サハラマラソンの旅的な側面やサハラ砂漠の雄大な自然や景色を存分に楽しむ事に目標を置きました。なお、装備計画を決める上で、ざっくりと何時くらいにビバークに戻ってくるかということは想定しましたが、目標としてのタイムを意識することはしませんでした。
<第30回大会への参加に至った経緯>
親しい上司がサハラマラソンを完走したことから、私もいつかは出場しようと考えていたところ、そろそろ参加しても良いかなあという時機に来たと感じたことです。その時機とは、一つには、自身の還暦年にサハラマラソンが第30回大会を迎えるというキリの良さ、更には、2014年の萩往還250kmの部で時間内完踏を果たし、ロングレースを走破することへの一定の自信を得たことです。
<不安要素>
サハラマラソンの完走記やYouTubeの映像だけでなく、第22回大会完走者である樺沢秀近さんからお話を伺い、リアルの世界でサハラマラソンを確認し、少なからず安心感を得るというプロセスを経て、レジストレーションを完了しました。しかしながら、サハラ砂漠の気候、特に暑さが、どのような影響を身体に及ぼすかという点については、実際に体験しないことにはわからないため、暑さが目標達成の上での大きな不安要素と捉えていました。
一方、たびたび超長距離を走ったこれまでの経験から、サハラマラソンの各ステージでの走行距離、水ぶくれやマメ等の足のトラブル、超長距離レースでの食事の摂取、胃腸障害等は大きなリスク要因とは捉えていませんでした。
<準備>
練習
サハラマラソンを意識した練習は1月から3月初めまで。それ以降、3月末にパリに向けて出発するまでは、年初からの練習の疲れを取ることに集中しました。樺澤さんからは普段30キロ走を練習のメインとしているならば、ステージレースの練習として30キロ走を連続して実施することが効果的というアドバイスを頂いていたので、そのアドバイスを取り入れました。具体的には、ロード、トレイル、公園の不整地など形状の異なる路面で4日間連続のロング走を行い、概ね120km/週の走行距離を練習の目安としました。
なお、持参する食糧のカロリー数で満足できないことを想定し、一週間に一度、朝練時に朝食を抜き、途中、給水・給食の補給無しで30キロを走る練習を取り入れました。この練習を始めた頃は23キロあたりで補給を必要としていた体が2ヶ月もすると30キロ走の間、補給が不要となるのには驚きました。更には、ラン・アンド・ウオークに切り替えざるを得なくなった時(又は、積極的に切り替えることを選択する場合)を想定し、ジムのトレッドミルの傾斜率を最大値にセットしてウオーキング力を強化しました。
装備
第1ステージのスタート時(朝食後)のバックパックの重量は約8.5kg。食糧とその他装備品の割合は概ね5:5。
食料は重要であると思いつつも、これまでの超長距離レースでは給食や大抵の行動食も抵抗なく摂ることができていたので、今振り返るとそれほど工夫した記憶はなく、規定上のmin.14,000kcal+予備としての2,000kcalを、主に、アルファー米、インスタントラーメン、カレー、味噌汁、ミックスナッツやドライフルーツ、グミ等で準備しました。また、その他装備については、多少重くともサハラマラソンの思い出を残すために砂嵐の中でも耐えられる防塵仕様のデジカメやオーバーナイトステージの真っ暗な中で聞くiPodは、副次的な目標であるサハラマラソンの旅的な要素を楽しむための必須装備と考えました。これらを持参した上で、食料以外の装備は、快適性をある程度確保しつつも軽量化を図りました。例えば、切断したペットボトルを食器として代用する、ビバークでは、長袖・ロングタイツ一着のみ、就寝時使用のマットは半分切る等です。
<レース>
第30回大会サハラマラソンの各ステージでは、私の期待を裏切ることなく、美しく、目を見張るような景色の連続、そして、圧倒するようなサハラ砂漠の自然に触れることができました。ランナーとしては厳しいコースが続きますが、決して我々を飽きさせることがなく、感動を与え続けてくれました。そして、予定通り、景色をデジカメに収めたり、3度優勝のLowrence Klein女史との2ショットを撮ったりと、サハラマラソンを映像で記録し、満喫しました。
一方で、ビビッドに記憶に残るのは、厳しい状況に直面した時のサハラマラソンです。第2ステージのCP2を出た後、平均斜度25%の登りが続く砂地・トレイルで全く体が前に進まなくなり完全に潰れていました。おそらく、1時間くらいほぼ同じ日陰に座り込んでいたように感じます。前日の熱中症の影響による食欲不振と雑な給水からくる脱水症状が原因であると、後のメディカルスタッフの診断でわかりましたが、この窮地を救ってくれたのがスペインから参加のMikel。彼のペースメークと励ましのおかげでなんとか第2ステージのフィニッシュ・ラインを超えることができました。
第2ステージでリバースして以来、空腹感を覚えながらも吐き気があるという状態が続き、アルファー米は全くと言っていいほど喉を通らずもっぱらインスタントラーメンのみ。ナッツやドライフルーツもNGで、行動食はグミがメインとなり、当初予定のカロリー摂取量を大幅に下回っていました。したがって、省エネに徹し、本来ならば走れる区間も原則、早歩きで移動ということになりました(但し、第4ステージと第5ステージの終盤は走りましたが)。しかしながら、第3ステージのCP2とゴール間でハンガーノックにより足が止まり、またも窮地に。偶然、出会ったテントメイトと物々交換で得たハチミツキャンディーとメディカルからもらった嘔吐防止薬に助けられて、第3ステージ終了。
サハラ砂漠の神様が、第4ステージに進んで良いと認めてくれたと感じた瞬間です。
それ以降も、食欲不振と吐き気に悩む展開が続きます。第4ステージではCP6とゴールで、第5ステージではCP3でメディカルスタッフから同様の嘔吐防止薬をもらい、凌ぐこととなりました。また、第6ステージのスタート段階で既に空腹感満載の状態でした。
<まとめ>
第2ステージ終盤に脱水症状に陥り、それ以降、胃腸障害に悩まされつつも、どのような事態に直面しても完走するという最低限の目標は達成できました。
当初想定していたサハラマラソンを通じてのサハラ砂漠の旅を楽しむというテーマは、第2ステージのCP2で終了しましたが、それ以降は、ステージレースに参加するアスリートっぽく各ステージをどのように切り抜け、そして、翌日のスタートラインに立つかというステージレースの醍醐味を経験することとなりました。今となっては、これはこれで、ランナーとしての経験値を高める貴重な体験だったと捉えています。厳しい状況の中、各ステージを切り抜けることができたのは、第1に、Mikelやジョーク好きの外国人選手、そして、テント#48で共に過ごしたテントメイトです。とりわけ、辛い時にいつもコース上で遭遇し、お互いに励ましあった三浦さん、中嶋さん、岩見谷さんを抜きに私のサハラストーリーは語ることができません。第2に、走力面でのリスク対応策として練習した朝食抜きランやトレッドミルを使ったウオーキング力強化練習は有効だったと思います。一方で、サハラ砂漠の暑さを最大のリスク要因として認識しつつも、これまでの経験から計画通り食事が摂取できないことはないと過信して、暑さの中でも喉を通る食事メニューや行動食を工夫しなかった点が今回のレースの反省点です。
欧州、北米、オセアニア、アフリカ東部等、世界には参加してみたいレースが数多く存在します。これらの地域でのレースを経験し、第35回大会のサハラマラソンに、再度、戻って来たいと考えています。
以上 |