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活動理念:

すべての人が安全で、豊かに共生できる社会を目指します。

活動内容について:

安全で自由に大地を走る(歩く)ことができるような環境づくりに貢献していきます。

災害や病、貧困などが原因でスポーツに親しむ環境にない人々に対して、スポーツの楽しさを体験してもらう支援などを行っていきます。

社会を担っていく子供たちの支援を行っていきます。

 
・ベトナム ハノイの施設にTシャツ、文房具などを贈呈 [詳細を見る]

ベトナム ハノイの施設にTシャツ、文房具などを贈呈

中央がPhoung所長

ハノイにある枯れ葉剤に苦しむ人達の治療やホームレスの子供のケアを行っている施設「平和村」を訪問。現在、この施設には6ヶ月〜20歳までの障害者、ストリートチルドレンが生活しています。「ベトナム・チャレンジ」の出場者が仲間から集めた、ボール、Tシャツ、文房具をPHUONG所長に手渡しました。

・東京ナイトウォーク開催 〜ネオンがさんざめく大都会を闊歩〜[詳細を見る]
支援活動:

2000年12月2日(土)に国境なきランナーズ(RWB)として初めてのイベント「第1回東京ナイトウォーク」を開催しました。このイベントは普段長い距離を歩くことのない「都会人」に、歩く楽しさを知ってもらう目的で行い、寒空の下、64名が参加しました。

2日の夜に新宿中央公園を出発し、3日早朝にかけて、都心を約30キロ歩いて1周。普段見慣れた街を改めて自分の足で踏みしめ、20世紀最後を締めくくりました。



・支援活動の一環としてスイカレースを走る[詳細を見る]
平田氏は2000年6月24日、千葉県富里で行われたスイカマラソン(10Km) に参加しました。平田氏は、目標とする時間内でレースを完走出来た際には寄付 をしていただけないだろうかと知り合いの方に呼びかけました。

この平田氏のはたらきかけにより集まった募金の合計金額は15,500円で、シドニーパラリンピックに参加したルワンダ選手の支援金として使わせていただきまし た。

以下に、平田氏からレースの結果報告を含めたレポートを掲載します。

▼はじめに
こんにちは。RWBの平田です。先日富里スイカマラソンで'45分以内で走り切れたら寄付してください'とみなさんに宣言したところ、どうにか目標を達 成することができ、多くの寄付をいただきました。ありがとうございます。

▼提案のきっかけ
さて、私がこの提案をした事の起こりは「会員は何をしたらよいのですか」と言う声を聞いたのが始まりです。ランナーが走って出来ることはないかと思って
いたこともあり、では走る事頑張る事と支援活動を結びつけてみましょうかと考えたところ、前述のことを思いついたのです。これは走る励みにもなり、会員一人でも出来ます。

RWBのミーティングの席上このことを提案すると、「それじゃ早速やってみますか」と、一週間後に迫った富里スイカマラソンで私がやることになりました。「はい」と返事をしたものの内心穏やかではありません。というのも実はスイカが目当てと言う不純な気持ちで大会に申し込んでいたからです。練習はとぼとぼと走っていただけです。余裕のある宣言タイムにすれば楽にちがいありません。しかし、それではみなさんの声援がいかされないと思い、現状の私の足力を冷静に見定めギリギリの線で10Kmキロ45分以内で走る事に決めました。それでも
ここ数年、肩で息をするくらい思いっきり走ったことがないので不安でした。

▼レースに向けての期待と不安
大会までの残された少ない期間、練習に力を入れるのと同時この事をRWBのホームページに掲示したり、友人に話してまわりました。「そうか、じゃ一口乗るよ」と嬉しい声をもらうと「よーし、頑張るぞ」と励みになりましたが、反面「大丈夫かな」と弱気になったり。揺れる心境で大会当日を迎えました。

▼さあ、レース開始です
スイカマラソンではコース上にスイカ給水所があり、それを楽しみに参加する人がたくさんいます。
そんなスイカはゴールに向かう私にとって力水になるのですが、今年はどうやら目標達成を阻む最大の誘惑でした。宣言タイムをクリアーしスイカをおいしくいただくと誓い、さあ私の募金獲得マラソンが始まりです。
始めの1キロのタイムでその日の調子とレース運びが決まります。1キロ地点にさしかかり時計を見ると予定より30秒早く、しかもきつい感じがしません。滑り出しは上々です。「この調子この調子」とつぶやきながら5キロ地点までは余裕のラン。しかし「あれ、ちょっと体が重くなってきたな」と感じるとペースは次第に落ちていきました。練習の成果?がでてきたようです。ここはひとつ速い人についてきましょうと、ぐんぐんと力強く走る人の足下を見つめ走ることにしました。

時計を見ると前半の貯金も残りわずしかありません。悲鳴を上げる体に「寄付、寄付」と言い聞かせ8キロ地点に到着。ここがレースの山場スイカの給水所です。「ひゃー、うめぇ」「やっぱりこれだね」とうまそうに食べる選手を横目で見ると、スイカの甘い罠に引き込まれそうでしたが、「スイカよゴールで会おう」と言い残し更にゴールへと向かいました。最後はもう何も考えることが出来ないほどバテバテでしたが、「もう少しだ頑張れ」と言う沿道の声に押されどうにかゴールテープを切ることが出来ました。

▼レース結果は?
膝に手をやり肩で息を切りながら時計を見ると44分、ホッとひと安心。駆け寄る友人へOKと指でサインを送ると「やったね、じゃこれ」と寄付をくれました。それを手にした時は本当に頑張って良かったと今までにない完走後の充実感を感じました。

▼レースを終えての心境。そして、今後の展望
今回始める前に、見ず知らずの者の提案、RWBをどれほど信頼してもらえるかという点がありました。ましてやみなさんの大切なお金のことですから。それでもとにかく一歩踏み出してみることにしました。結果は数名の方から賛同を得ることが出来ました。感謝とともに嬉しいことです。
このようなことで(走ることで)貢献できると言うことを知ってもらえれば、またRWBと会員、会員同士のつながりが持てたなら幸いです。
これからもみなさんとともに安全で自由な大地をと願い活動していきたいと思います。応援よろしくお願いします。

ご意見、提案等ありましたらこちらもお願いします。

平田光男



・日本人選手17人がベルベル民族の小学校に文房具を寄付[詳細を見る]
 コースとなったサハラ砂漠の小学校に文房具類、Tシャツなどを贈呈

日本人選手17人がベルベル民族の小学校に文房具を寄付

2001年の第16回大会中、コースとなったサハラ砂漠のマウヤ・マダリス・ジュダイドュ学校(Ecole Moaouiya Madaris Jdaid)の生徒49人に文房具類、Tシャツなどを贈呈しました。ウシャティ村長、バニ教諭をはじめ集まった子供達の熱烈な喜びを目の当たりにしました。贈呈式には,サハラマラソンの大会責任者のパトリックも参列。サハラマラソン始まって初めての地域の子供達への貢献活動に海外プレスも関心を示し、多くの記者が集まりました。

ウシャティ村長は、「ありがとう、子供達には思いがけない最高のプレゼントだ。」と感謝を表しました。また、現場で教育を担当するバニ教諭は「日本人選手の皆さんに心から感謝します。ただ、ここで走るだけでなく、私達、貧しい村の子供達がかかえる深刻な問題に目を向けてくれた意義は計り知れない。突然のこの素晴らしいプレゼントが、私達ベルベル民族の抱える貧窮に少しでも多くの人が気づくきっかけになればと思います。」と語りました。


・ルワンダの水泳選手を支援[詳細を見る]
 シドニーパラリンピックに出場する選手団のウエア、シューズ、水着を寄付。

ルワンダの水泳選手を支援

2000年10月18日開幕のシドニーパラリンピックに、内戦により足を失ったアフリカ・ルワンダの元兵士が競泳で出場しました。この選手はツチ人のルワガサナ・セザール選手(27歳)です。パラリンピックの競泳種目にルワンダ代表が出場するのは初です。

ルワンダは1994年に起こった大規模な内戦のため人口の一割にあたる約80万人が体に障害を負いました。ある人は地雷のためにある人は虐殺の惨禍に巻き込まれたために体の一部を失っています。

セザール選手も内戦でフツ人政権と対立し片足を失いました。その後、吉田真美さんが代表を務めるルワンダ内戦の犠牲者の社会復帰を支援しているNGO「ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」に義足を支援してもらい、現在は、自ら義足製作技術者になるための訓練を受けています。

パラリンピックに出場することで同じ境遇の人たちに勇気と希望を与えたいとセザール選手は首都キガリのホテルのプールを好意で使わせてもらいました。

▼「国境なきランナーズ」が選手団のウエア、シューズ、水着を寄付。

セザール選手がシドニーパラリンピックに出場するにあたり開会式や大会中に着用する新しいトレーニングウエア、シューズそして、競泳用水着がルワンダでは手に入らないという現状を聞き、「国境なきランナーズ」では、選手団4人分を支援いたしました。