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サハラマラソン挑戦記
挑戦者: ムタグチ   レナ
牟田口 玲奈
レース: 第30回サハラマラソン

第28回サハラマラソン挑戦記

1. エントリー

昨年の大会が終わり、まだその余韻に浸っていた5月頃、翌年の30回記念大会のエントリーが6月開始するというアナウンスが大会事務局からあった。通年よりもかなり早く驚いたが、迷うことなく速攻エントリーし、3年連続3回目の出場が決定する。30回記念大会ということもあり、エントリーは開始から1ヶ月も経たないうちに出場枠が埋まってしまい、更に200名の追加枠もすぐに埋まってしまった。恐るべし30回記念大会である。今回は、私だけではなく、東京は経堂にあるパクチーハウス東京という世界初のパクチー料理専門店に夜な夜な(?!)集まるメドックマラソンでの完飲完食を目指すパクチーランニングクラブの仲間が4人もTeam PAXiとしてチーム参加することになった。メドックマラソンのようにコース上にボルドーワインがないのによく参加したものだ。しかも、砂漠で飲む気でいるようで、お酒(の運搬)どうする?なんて誰からともなく言い出す始末である。

 

2. トレーニング

他にも一昨年、昨年度の大会に参加された方々も何人か参加するし、殆んどの日本人選手と顔見知りという不思議な年になった。そのため、SNSなどで皆さんのトレーニングの状況などがつぶさにわかり良い刺激になった。私は前回同様マラソンやトレイルレースをエントリーしまくり、否が応でも走らざるを得ない状況を作った。度が過ぎて、4週連続フルマラソン(国内外)からの100kmウルトラマラソンという訳の分からないことになってしまったり、挙句の果てには仕事帰りに飛行機に乗って大阪に向かい、ちょっと頭がおかしい(?)ラン仲間と夜通し新大阪駅から有馬温泉まで走って行くというオーバーナイトの練習もやった。(結局、温泉でどんちゃんしたかっただけ?) 月200km-250kmくらいを目標に走った。

3. 装備/食料

一昨年の反省を踏まえ、昨年は思い切った軽量化を行った。バックパックを20リットルのものにして、お湯を沸かさないつもりでゴトク、コッヘル、固形燃料は持って行かなかった。食料も大分減らして、カロリー稼ぎのためにナッツ類を沢山持参した。しかし、水だけでアルファ米を食べるのが段々苦痛になったし、ナッツ類も飽きてきた。そんなに走力のないやつが唯一の楽しみの食事を節制しても大して結果は変わるはずもない、という昨年の反省から、今年はお湯を使って好きなものを食べるようにした。白米に鮭茶漬けとか、キムチクッパの素をかけたりして、さらさらっと食べれるようにした。おやつにベビースターだって、ポテトチップスだって、チョコ(M&M、コアラのマーチ)も持って行った。あと、ビバークには絨毯だけあれば十分と昨年はマットも持って行かなかったが、今年は重量が200gでコンパクトに収納できるマットを教えてもらい、それを使ったところ寝心地良く大満足だった。(ただ、今年は睡眠中に砂嵐が吹きまくり凍え死ぬかと思ったのは計算外だったが…。)砂漠ランナーあるあるでいうと、何か装備を買おうとするとまずは軽量であるか否か、「それ何グラム?」が口癖になるし、食料品をみると砂漠に持って行けるか否か、1gあたりのカロリー数はどのくらいか?コストパフォーマンス(CP)ならぬ、カロリーパフォーマンス(CP)を求めてしまう習性がついてしまった。

4. レース

今回はレース開催前の記者会見でコース情報が少しだけ公開されたので、山岳コースとなりそうなステージ2とサハラマラソン史上最長距離になると言われたオーバーナイトステージをどうするか対策を考えることが出来た。オーバーナイトステージに至っては100kmになるんじゃないか?30回記念大会だから総距離300kmね?なんてなるんじゃないかと戦々恐々としており、ワルザザードからの移動のバスの中でロードブックが配られた時は速攻で総距離とコースをチェックし、例年とほぼ変わらないと分かってホッとしたような、しないような。

ステージ1(36.2km)

いよいよレースの始まり。初日は選手のみんなもテンションが高く、スタート前のAC/DCのHighway To Hellも皆で大合唱する。主催者パトリックのカウントダウンでスタートし、雪崩のようにスタートラインを超えて行く選手達にもまれながらスタートを切った私もここに戻って来れた喜びで満ちあふれていた。1年振りに横っ飛びで空撮するヘリコプターも見れて興奮醒めやらぬままに、歩いたり走ったりしていたら、あっという間にCP1/CP2を通過し、気がついたらチームの仲間をゴール前で捉えて、一緒にゴールをしていた。後日談で、帰国後ロードブックを見ていたら今年の方が距離が1km短いだけで2年前のステージ1のコースとまったく同じだったのだが、その時はまったく気がついていなかった。

ステージ2 (31.1km)

今日は山岳コースということで登りが苦手な私はとにかく時間をかけてゆっくり登ろう、頂上からのパノラマを楽しもうと心に決める。序盤の平坦8kmを抜け、いよいよここから山登りというところであれ?なんかここ見たことあるなーというデジャブ感に見舞われる。山の頂上に登り、一体いつまで続くんだと気が遠くなるような尾根の縦走になった時に自分の中で確信を得る。ここ2年前も通ってる、ここらへんで突風が吹いて帽子が奈落の底に飛んで行ったんだよなーなんてことを思い出す。そして、CP2のすぐ背後に見える傾斜25度の大きな岩(砂)山を見た時、これは嘘であってほしいと天を仰いだ。というのも、昨年のオーバーナイトステージの序盤で炎天下でひいひい言いながら上り下りしたやつではないか、トラウマが蘇る。ほんとにイヤイヤ上り下りしました。日本から応援していた友人がこの日のゴール映像を見て「お疲れの様子でしたね」というメッセージを送ってくれたが、それはこういう理由だったわけです。この岩(砂)山だけはもう二度と見たくないと思っていたのに、まさか2日後のオーバーナイトステージで逆走する羽目になるとは思ってもいなかった。

ステージ3 (36.7km)

去年はあまりの暑さで体力を奪われ、コース上にいたドクターのジープに2回駆け込みリタイアの危機に追い込まれた因縁のステージ3。この日はCP2まで快調に進む。CP2を抜け、砂丘群がずっと先まで連なっているのを見たときもまだ風があるから大丈夫と鼻歌まじりに進んでいたのだが、しかしこの砂丘群の先はどうなっているのだろうと思っていたらまさかの山登りからの回り込みである。山を下りてからのゴールまでが長く感じ、あそこを曲がったらゴールが見えるかもしれないという思いをことごとく裏切ってくれた。ありがとう、パトリック…。

オーバーナイトステージ(91.7km)

サハラマラソン史上最長と言われており100kmを覚悟していたが、結局91.7kmと聞いてホッとする自分もいかがなものか。オーバーナイトステージは途中のチェックポイントで寝ずに一気にゴールを目指す。できれば、日が昇る前にゴールする。フルマラソンを超える距離では知らず知らずにスタミナ切れで大きく失速する、もしくは足が止まるという今までの経験から、長丁場となるこのステージではチェックポイントでしっかりいつもより多めに補給するように心がけた。そのおかげか順調に小走りしたり、歩みを進め、何とか翌日、朝日を拝む前の5時過ぎにゴールすることができた。例年はCP5からレーザービームが放たれていたので、今回もそうだと思っていた。ところがCP4から暗くなり始めたのにまったくレーザービームが見えず、絶望的な気分を味わいながらもレーザービームを拝もうと急いで進んで行ったため、気分的にCP5はあっという間という嬉しい(?)誤算だった。CP5ではレーザービームが放たれていない代わりに、なぜかデッキチェアーとかバーカウンターみたいなのが設置され、そこでスポンサーのスルタン紅茶が振る舞われていたり、生演奏が奏でられており、さながら砂漠の中のオアシス、リゾート状態になっていたのには驚いた。そして、容赦なく吹き付ける風には辟易した。体を動かしていないと凍死するんではないかと思うくらいに夜の砂漠の風は冷たく、常に体を動かし続けているしかなかった。そして、ゴールしてテントに戻ってきたら、チームの仲間1人しかテントにおらず、しかも吹きさらしの冷たい強い風が吹く中、シュラフの中で縮こまっていた。それは私も例外ではなく、頑張って早くゴールしたのになぜテントで寒さに震えて凍え死にそうな思いをしなければならないのか、天を呪った。

マラソンステージ(42.2km)

オーバーナイトステージの後に強制的にメディカル行きになり処置された足が浮腫み、靴が入らなくなった。無理矢理入れようとすると激痛が走り、朝っぱらから靴が入らないなんてギャーギャー騒ぐ始末である。スタート前に痛み止めを服用したものの、それがまったく効かずよちよち歩き状態になり、気がつけば後ろの方まで下がってしまっていた。思うように走れない自分に苛立ちを感じ、思わずぽろりと悔し涙を流す。CP1を抜けてからは、痛み止めが効きだしたのか小走りができるようになったので、今までの遅れを取り戻すかのように平坦なところはなるべく小走りで行った。フィニッシュラインが見えると同時に、チームの仲間が前方を走っているのが見えたので、追いかけて行き一緒にフィニッシュラインを超えることが出来た。フィニッシュラインの先には主催者のパトリックではなく、3年来の友人でもある大会スタッフのナタリーがいた。彼女を見つけ、お互い抱き合うように飛び上がって喜び、彼女の手から完走メダルをかけてもらった時は本当に嬉しかった。昨年はパトリックが電話をしながら私にメダルをかけたことがしこり(?)として残っていたので、昨年来のモヤモヤがこれですっきりした気分だった。
そして、Team PAXi  全員完走!メドックマラソンの愉快な仲間達はやはりサハラ砂漠でも愉快な仲間達だった。

チャリティステージ(11.5km)

無事に完走し、砂漠を名残惜しむかのように選手は思い思いに走ったり、歩いたり、足を止めて空いたペットボトルに砂丘で砂を集めたりする。私はこの時は当分砂なんか見たくないと思っているので、砂を持ち帰るようなことはしないのだが、やっぱりなぜか帰国後あちこちから砂が湧き出てくる。恐るべし、サハラ砂漠。気のせいか、ここは一昨年も歩いたような気がするというデシャブ感に見舞われたのだが、ゴールのある集落を見て確信した。やっぱり2年前もここ歩いてる、メズルーガ大砂丘。

5. 最後に

昨年は無風でとにかくクソ暑いという記憶しかなかったサハラマラソンだったが、今年は終始風が吹いて暑さが少し和らいだ印象だった。レース中よりもビバークの生活が大変で、特に夜から朝方にかけて吹き続けた砂嵐に苦しめられ、砂漠で風邪引くどころか凍死するんじゃないか?と思える程だった。

だけれども、レース中どんなに辛い思いをしても、不思議なことに全てが終わってしまうと、その辛かった記憶はどこか彼方に飛んで行ってしまうか、もしくは笑い話になってしまう。そして自分の中に残る記憶と言えば、自分の足で歩き、自分の目でみた壮大なサハラ砂漠の景色、果てしない地平線、降り注いでくるかのような満天の星空、美しい朝焼けに夕焼け、その中で暮らす人々の生活風景である。きっと忘れることはないでしょう。そして、主催者パトリック、大会スタッフの皆さん、選手の皆さんと過ごした時間も全てかけがえのない思い出として胸に刻まれる。サハラでの1週間を一緒に過ごしてくれてありがとう。また、遠く離れた日本で夜遅くまで眠気を我慢しながらGPS(今年から発煙筒の代わりに必須装備となった)の位置情報をトラッキングして、ゴール地点にあるウェブカムの映像を見守り続け、励ましのメッセージを送ってくれたお友達の皆さん本当にありがとう。

ふとしたきっかけでサハラマラソンの存在を知り、調べれば調べるほどにサハラマラソンに呼ばれているような気がしてエントリーした2013年の28回大会から気がつけばサハラマラソンに魅力され、あちこちでサハラマラソンについて熱く語りまくる変な人(?)になってしまった。私に近寄るとサハラマラソンに巻き込まれてしまいますのでご注意ください(笑)

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