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サハラマラソン挑戦記
小野田緑
挑戦者: オノダ ミドリ
小野田 緑
レース: 第26回サハラマラソン
期間: 2011年3月30日〜4月11日
7日間6ステージ 走行距離合計250.7km
ランキング: 総合783位
合計タイム:68時間34分41秒

きっかけ

今までTVや雑誌でビビッときたものがあると必ず行きたくなって行って来た。
NYCマラソン、アイアンマン(IM)ドイツ、どちらも予想通りの華やかな素晴らしい大会だった。
その頃TVで若い女性タレントがチームでサハラ砂漠のレースに挑む番組をやっていた。
「おもしろそ〜」いつもなら「やってみれば?」と言う主人がこの時ばかりは「冗談じゃない!」
けたはずれのお金と時間を考えると確かに・・・
「じゃぁ宝くじ当たったらね!」我が家では宝くじが当たったらやる事がたくさんある。
また一つ増えた。

運命の出会い

40歳すぎて始めたトライアスロン。
IMドイツはあこがれの大会でこの完走を一つの区切りにしようと思っていた。
ところがなんとその年サハラを完走した女性と同宿に・・・
「宝くじが・・なんて言ってたらダメ!早いほうがいい、毎日がIMで笑いが止まらない」
ドイツから帰った私の第一声「とんでもない人に出会ってしまった!私サハラに行く!」
こうして私のサハラ出場は決まった。
エントリー直前、母の病気が見つかり看取り1年遅れ2年越しのサハラになった。
そして震災、つくづく明日は何が起きるか分からない、できるうちにやっておかなければと痛感した。

サハラへ

パリ集合の翌日、ホテルロビーで顔合わせ。
その翌朝オルリーからチャーター便でワルザザードに入り、バスでスタートのビバーグへ向かう。
大自然のトイレ休憩、軍事用トラックへの殺気立った乗り換え、
次々現れる見ると聞くとでは大違いのサハラの洗礼に感動。本当に笑いが止まらない。

レース前

開会セレモニー、日本選手紹介の時には震災に対し黙祷の時間が設けられた。
レース中にも追い越していく選手に「ジャポン!」と励まされる事が多かった。
ビバーグのトイレも今年から洋式の簡易式になり快適。
香港のテントメイトが小の方をNo.1大の方をNo.2と言っていたのでそれから私達も使わせてもらった。

第1ステージ

レース初日朝、またしてもサハラの洗礼ベルベル人の襲来である。
さんざん聞かされていたのに・・地元のスタッフがテントを容赦なく片付けに来る。
日本人のテントはゴールの近くで助かる代わり1番最初に片付けられる。
初めての私はおろおろするばかり。
いよいよスタート。
スタートセレモニー、毎ステージ(ST)パトリックの話でスタートが15分遅れた。
カウントダウンはもちろん。
ヘリコプターの横飛びに大興奮!開いた扉から足を出して撮影していく。
今思い出してもドキドキする。
勢いで走り出すも我にかえり、毎日33k以上走るという自信がなかったのでとりあえずウォーキングで行く事にした。
欧米人のウォーキングは私のジョギングと同じ速さでストックを持って来なかったことを悔やんだ。
ゲーターも1日ではがれてしまった。接着剤を信じて確認すらしなかった。
おかげで毎ステージ(ST)砂丘では何度も休憩を兼ねてくつを脱いで砂出しすることになった。
腰にリュックの角があたって腫れてきた。 
興奮したまま1日目が終わった。

第2ステージ

2日目は朝から風が強く寒かった。
ベルベル人の襲来を写真に撮ろうと思ったらカメラが壊れていた。レンズに砂が入ったようだ。
100円ライターのバネやハイドロのスライドも動きが固い。砂の事を甘くみていた。
リュックの間に座布団をはさんでみた。これなら痛くない。
ゴールまで風が強く砂まみれになった
足の指ほとんどマメがつぶれこの日からメディカル通い。
メディカルに行くと皆も同じ痛みと闘っていることを感じて気持ちが楽になった。
ペットボトルに入った消毒液で足を洗い順番を待つのもホットするひと時だ。
どんなに足を痛めていても皆明日のスタートを確信している。
テントにメールが届けられる。ローマ字なので読みにくい。
主人からのメールは労をねぎらったあと必ず順位が入っている。
これにはちょっとキレた。順位なんてどうでもいい!サハラに来ればきっと分かる。

第3ステージ

3日目からゲーターはマジックテープ部分を切り取り足首から砂が入らないように足首用のランスカに変身。ただのアクセサリー。
コースは砂丘が美しく終盤の岩山は迫力がありとても面白かった。
砂丘の稜線に立った時にヘリコプターが現れて大興奮!思い出に残るシーンである。
あと5キロからがとにかく長い。砂山を越えても越えてもビバークが見えない。
サハラでは遥か遠くに見える山でも800mぐらいしかない。
日が暮れたころビバークからの緑色のレーザー光線が目に飛び込んできた。宇宙的〜!

オーバーナイトステージ

走れば1時間の苦しみが歩くと3時間。
オーバーナイトステージまではひたすら我慢だった。
砂の歩き方にも慣れてきた。踏まれていない所は足裏全体でそっと歩く。踏み荒らされたやわらかい所は歩幅のあった足跡に合わせて歩く。斜面はおもいきりがに股でラッセルしていく。
チェックポイント(CP)4に制限ぎりぎりの到着、夕食を済ませCP5で仮眠することにした。CPには人もまばらでひとりぼっちの真っ暗闇を満喫。
500m毎に光るマーキングだけが頼り。幽かな明かりなので自分の足元を照らす明かりが邪魔になる。ときどき明かりを消して真っ暗闇にする。低く被さった夜空にシャンデリアのように垂れ下がる星、その中に緑色の明かりを見つける。サハラの夜空を独り占め。
CP6でサハラのご来光を拝み、ビバークまで単調なガレ場で睡魔との闘いで何度も足がもつれた。
割れた瓦のような石が散らばっている平原が続く。鉄板のような色で「これで肉を焼いたらヘルシーでおいしそう!」なんて思ったりして丁度いい石を見つけながら気を紛らした。
そしていつものおやつタイム。いつも最後のCPからはナッツをポリポリかじり、あたりめを噛みながらマヨネーズを舐める。
これが至福の時間になっていた。
ちなみにマヨネーズは究極の高カロリー食。サハラではちょっと酸味のあるものや塩気のあるものがおいしかった。アルファ米のちらしごはんやサラミ等。

フルマラソンステージ

歩いてできたマメは当然歩くと痛いのでフルマラソンSTからは走ってみることにしたが、今までの苦しさがよみがえって一番辛いSTになった。
走るといってもジョグ、ストックを持ったウォーカーと同じスピードがやっとで自分に鞭打ちながら走った。
スタートではここまでこれた自分に感動し涙を流し、ゴールではテントメイトが迎えてくれてまた涙。
ゴール後メディカルから戻り夜空に響くオペラの歌声が心に沁みて心底燃え尽きた1日になった。

最終ステージ

最終日の朝はなぜか沈んでいた。
完走を目前にしてもサハラが終わってしまうさみしさのほうが大きい。
ベルベルの朝に備え早々荷物を出しているのに来ない!そうかここが最後なんだ。
スタートも遅く、スタッフの車がクラクションをならしながら先に出て行くのを選手達が感謝をこめて見送る。
当たり前のことだがスタッフも一緒に移動していたわけで、今日で終わりというのを感じてジーンときた。
舗装道路、街中のゴールでいままでの事が夢であったかのように現実の世界に戻された感じだ。
励まし合いゴールしたフランス人女性とハグしていたら涙があふれて止まらなくなった。

レースを終えて

完走をささえたのは精神力。
レース中スタッフの車が通り過ぎるたび大丈夫か?と親指を立てて合図する。
大丈夫なわけないでしょ!と心で叫んでおもいきり強く笑顔で合図を返した。
人間も一動物、その生命力を感じてみたいと思っていたがそれを感じたのはハエに集られた時ぐらいで、逆に人間としての力が試されるレースだと思った。
帰りの飛行機で機内食が足らず我々のあたりから2人で1つと言われ、人種差別だ〜代わりにワインをよこせ!と騒ぎ、パリでは日本チーム全員で焼肉をたらふく食べ、すっかり人間性を取り戻してしまった。

日本に戻り家事に追われる日常生活が新鮮に感じ、足の爪やマメも剥がれ、心身共に一皮剥けたようだ。
過酷なレースと言われているが終わってみると辛さよりも楽しさの方が多く本当に素晴らしいレースだった。

私の夢を共有してくださったすべての皆さんに心より感謝しています。

小野田緑
全体順位:783位
総合タイム:68H34'41

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