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サハラマラソン挑戦記
四方田涼子
挑戦者: 四方田(よもだ) 涼子
レース: 第25回サハラマラソン
期間: 2010年4月4日〜4月10日 (7日間6ステージ)
ランキング: 総合:763位/完走923名/出場1013名
合計タイム:59時間34分37秒(4.18km/時間)

サハラマラソンを目指した理由

私がランニングを始めた理由は仕事の体力作りの為だった。しかし、なかなか続かなくて目標が必要だと思った。目標を持ち充実した生活を送っている周りの人達を目の当たりにして、ただの目標では駄目だと、思い切ってサハラマラソンに申し込んだ。そして、ゴール時の達成感を味わいたいとも思った。マラソンの経験もなく、今、思えば無謀だったのかもしれないが、経験がなかった分、何も戸惑いはなかった。私は本当に人に恵まれていて一人で臨むはずのサハラが、一般のアウトドアショップ→専門のアウトドアショップ→ベテランのランナー紹介、と言った具合に簡単に広がった。それからは、ベテランの大塚さんが主にアドバイスをしてくれて、更にトレーニングの面倒を見てくれる方、過去の出場者の方々を紹介してくれた。極め付けは、今年の出場者の方達との連絡の橋渡しまでしてくれた。本当にラッキーだと思った。そして、万全の態勢で当日を迎える事が出来た。

サハラマラソン 初日

初日は様子を見ながら走ろうと決めていた。半年前から準備をしてきて待ちに待ったサハラマラソン、とても興奮して、嬉しくてたまらなかった。この日は難なくゴールしたがマメが幾つも出来ていた。マメは出来るだろうとは思っていたが、初日からこんなに出来るとは全く思わず、足の状態と体力を温存しても後半走れなくなるという事から、明日は最初から走れるだけ走ろうと決めた。

サハラマラソン 2日目

2日目はCP2まで好調に走れたが、ゴールまであと半分の距離でマメの痛みが激しくなり、数が増えているのが分かった。とても痛くて、辛くて、岩山の下りが容赦ない痛みを感じさせる。既に、嫌だ嫌だの気持ちしか出てこなくなった。何とかゴールしたが痛みが酷過ぎて、自分の手当だけではどうしようもないと思いクリニックに行く事にした。この時の決心はとても勇気がいった。と言うのも、過去の経験者の方からクリニックの治療には激痛が伴うし痛みが増えるだけで改善しない、と言われていたからである。しかし、実際は今年から治療法が変わり、確かに痛みはあったが翌日には軽減していて、初日から行けば良かったと後悔したぐらいである。そんな事とは知らずに、不安で必要以上に脅えている私に苛ついたドクターの冷たい対応、混雑していた状況だったので無理もない。しかし、自分の事でいっぱいの私には、何でこんな嫌な思いをしなければならない、この場に居たくない、明日からどうしよう、と悪い事しか浮かんで来ない。それでも、テントのメンバーに弱音は吐きたくないと、何気ない顔で戻った。弱っている自分を見せていないつもりで出ていたのかもしれない、みんなのさりげない気遣いに優しさを感じた。そして、友人や家族から応援のメールを受け取り、少しだけ心が和らいだ。

サハラマラソン 3日目

3日目の朝、足の痛みが軽減していて少しだけやる気が出た事にとても驚いた。今日を乗り切れば何とかなるかも、と希望が持てた。そしてゴール。この日からゴール直後にクリニック通いの行動パターンが決まった。マメの数はどんどん増えて行き、爪もやられた。こんな足になっているのは私だけではないはず、と安心したくて待ち時間に私よりひどい人を探したが、最後まで誰も見つける事は出来ず不安が増した。治療中も激痛が伴い、叫びたいくらいだが叫んだところでどうしようもない、とこらえていると隣の人が、あなたはとても立派で我慢強い、と私を慰めてくれた。時には手を握ってくれる人もいた。自分の足だって痛いはずなのに他人を思いやる優しさに感動した。そしてまた、いかに自分が甘えていたのかを思い知った。この日からマメなんて大した事ではないと思えるようになり、絶対にゴール出来ると自信さえ持てた。

サハラマラソン 4日目

4日目はノンストップステージ、過去の出場者の方から「無音の夜を楽しんで」と言われていたのだが、無音とはいかなった。と言うのも、日が暮れ始めたCP3で同じ日本人の女の子と一緒に行く事になり、表現豊かな彼女は常に私を笑わせてくれ、辛い夜でさえも楽しむ事が出来た。彼女にはとても感謝している。

サハラマラソン 6日目

6日目はフルマラソンステージ、徐々に疲れが出て気力だけで進んだ。CP3直前にゆっくり歩いていると、ルクセンブルグ人が一緒に走ろうと声を掛けてきた。彼は、初日から馴れ馴れしく話し掛けてきて、冗談しか言わないので軽いノリの人だと最初は相手にしていなかったが、せっかく誘ってくれたのだから付いて行こう、と一緒に走り始めたがとても速くて付いて行くのは無理だった。すると彼は友人達を先に行かせ、遅れ始めた私に「歩いて行こう」と言ってくれた。それから、彼の国や身の上話を聞かせてくれた。厳しい状況にも関わらず冗談ばっかり言っているのは、暗い世の中だから明るくいかないとね、という彼の信条からだった。どんな時でも人を笑わせようとする彼の姿を見て、とても大きくて優しい人だと思った。CP3を通過してからも彼は一緒に歩いてくれ、走ってゴールしようと約束した。たわいのない話をしていると、出場者ではない彼の友人が出迎えてくれた。驚いた。そのようなツアーがある事は知っていたが、ランナーではない普通の人が軽装で砂漠のど真ん中に現れたのだから。友人の登場に喜んだ彼は、今から走って行こうと言い出し走り始めたがとても速い。またまた遅れ始めたが、彼と走ってゴールすると約束したのだから一人でもゆっくり走ろうと約束を守った。そうすると、彼はちゃんとゴールで待っていてくれて、彼に会いに来た奥さんまでも私を待っていてくれた。とても嬉しくて明日も頑張ろうとやる気が出た。

サハラマラソン 最終日

最終日、今夜は、1週間ぶりのシャワーが浴びれると心を躍らせて、そして、今までに味わった事のない達成感が味わえると思い走った。石があってもひたすら直線の最短距離で走った。そして、感動のゴール、のはずが全く感動しない。達成感もない。周りの人達は泣いているのに全然泣けない。私が泣いたのは2日目の時だけ。どうして?と疑問ができ帰国して大塚さんにそう報告すると、初めてのサハラだから、2度3度と経験してくる内にサハラの良さが分ってくる、と言われ安心した。私はおかしいのではないかと不安になったから。

残念ながら、思った様な結末ではなかったが、何度も「優しさ」について考えさせられた。いかなる状況でも人に優しくする事の素晴らしさ、その優しさが人に与える活力のすごさ、そして、優しさを感じると辛い事でも我慢出来る、という事を体験した。これからは人に対してもう少し優しくなれる自信ができた。しかし、帰宅した3日後に早速、姉と喧嘩をした。理由はとてもくだらなく、普段の生活ではそう簡単にはいかないと反省した。

サハラマラソンを終えて

最後に、この様な大会を開いてくださったスポンサーを始めとする関係者の皆様、パリと日本でお世話をしてくださった事務局の方々、そして、私を支えてくれた方達に厚くお礼を申し上げます。本当に貴重な経験をさせて頂き感謝の気持ちでいっぱいです。共に励まし合った日本人メンバーのみんな、あなた方とゴールさせて頂いた事は、私の一生の宝物です。

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