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サハラマラソン挑戦記
挑戦者: 飯田徳子 72歳
レース: 第24回サハラマラソン
期間: 2009年3月30日〜4月3日(5日間4ステージ)
ランキング: 総合687位(この大会最高齢で完走)
合計タイム:49時間24分22秒

3月27〜28日

AM7:00にパリ・オルリー空港を出発した飛行機がモロッコのワルザザード上空にさしかかった。しかし、青いはずの空がない。土色だ。機の窓に雨滴がついている。

無事着陸した機から外へ出ると、土砂降りの雨。入国審査をすませ、待機していたバスに乗り込む。

ここから350kmおよそ6時間移動し、バスを降りトラックに分乗し、今日から、29日の第1ステージスタートの朝まで過ごす、ビバーク地へと向かうのだ。

ワルザザードは雨でも、350km先は晴れているだろうと暢気にバスに揺られていた。ところが、スタートして数時間後(このあたりはぼんやり居眠り気分だったのではっきりしない)バスが突然停車した。乗っていた選手は休息タイムだと思い、降りておしっこをしたり、おしゃべりをしたり、雨が強くなったのでバスに乗ったり、小ぶりになると降りたり。ナツメヤシの実を売りに村人が来たり…バスは中々発車しない。しばらくして前方から血相を変えて村人が走ってくる。前を走行していたバスのドライバーらしい人がなにやら叫んでいる。
言葉は分からないが、何か大変な事態が発生したという事は察することができた。

しばらくしてバスは発車した。行く手に乗用車が十数台停車している。目の前には、大河が轟々と行く手を阻んでいる。すざまじい濁流だ!…と、その濁流の中へバスは突っ込んでいった。私は最前列の右側のシートに座っていたからこの決死の突破口をつぶさに見ることになった。砂漠は蛇行する大河が縦横にのたくりまわり、また、海かと見紛う様な光景が次々に現れた。この様な凄まじいサハラを見るだろうとは想像すらしなかった。

エルフードの街に到着。予定外のホテル分宿ということになった。このホテルには3月30日朝まで滞在した。

今年は、ロードブックの英和文が日本にいる時に送付された。昨年はビバーク地へ向かうバスの中で配布されよく読まなかったのも失敗の要因のひとつであった。昨年の失敗はするまいと事前に十分読み、自分の「しおり」を作成したのだが、大雨のため、日程とコースが大幅に変更。手製のしおりは不要となった。初日のステージから朝の飲料水支給の時にコースマップが1枚配布される。地図を見て砂丘が13q位続くのかな?岩山が2つ3つかという程度の理解しかできない。あとは何なのか皆目分からない。しかし、条件は皆同じ、「なるようになる」と覚悟を決めた。

3月29日

雨上がり、太陽が顔を出した。本来なら第1ステージのスタートの日だ。しかし、朝、バスに乗り(足止めをくった街だろう)規模の大きなホテルに到着。ここで書類のチェックやナンバーカードを受け取ったりワルザザードで受け取る荷物を預けた。そして主催者が用意した昼食をとり、第1ステージ前夜ビバーク地の夕食前に行われる前夜祭がホテルの庭で始まった。

3月30日

早朝バスでスタート地点迄移動。
AM9:00第2ステージがスタートした。CP1(チェックポイント)まで14qの砂丘が延々と続いた。

雨で固められた砂丘はこれまた難儀なものだ。途中休まずにCP1に辿りつき、シューズの中を点検する、砂があまり入っていない。これなら走れると確信してCP2に向かう。シューズはそれ程重くないのでそのままビバーク地へ。鈍足ランナーの私は、太陽のでている時間にゴールするとは考えてもいなかったので、明るいうちにゴールできたのは全くの予想外。実にうれしい予想外であった。太陽が頭上にあり、足にできたマメの手入れをゆっくりすることができた。

3月31日 第3ステージ

昨日のレースの教訓で走れるところは走る、と心に決めた。ゆっくりだがマイペースをキープして走り続ける。砂漠でぬかるみに足をとられそうになったり、乾いた地面を探したり。
命の無い無彩の岩山と思っていた山に白い花、黄色い花、ペパーミントグリーンの可愛い花が咲き乱れていたのには感動。水は命を吹き込むのだなと感激。重量をいかに軽くするかでカメラを持たなかったのが少々悔やまれた。脳裡にしっかり焼き付けて先へ進む。

昨年は、ヘッドランプの電池不足で(その他にも理由はあるが)失敗したので今年は、ヘッドランプ2個も用意したのに、今日も明るいうちにゴール。うれしい誤算。

4月1〜2日 オーバーナイト92km

私にとって今年の最大の難所はオーバーナイトだ。昨年は80km、2007年は70q。それなのに今年は92q。制限時間は同じ。スタートからCP3迄を9時間の予定にした。18:00にはなんとしても到着したい。昨年はCP3に20:00頃着き、前後に人影が全くなし道標もなし電球切れという有様でCP4迄行くことができなかった。この失敗はくり返さない。その為には何がなんでもCP3には明るいうちに!という訳で頑張りがきいて、17:20頃到着。明るいうちに少しでも前に進もう。

しかし、太陽は無常にも姿を消す。日没と共に思うように動けなくなり、CP4には23:30に到着。大風が吹き歩みを進めるのが困難だったがやっと辿り着いた。

CP4のいくつかのテントの中はシュラフにもぐり込んで白河夜船のランナー達で満員。テントの中も外もないような風の吹きまくる状態。こんなところで休んでいても仕方ないので、ストレッチングをして行動食を口に入れて大風の吹く闇の中へ出発。

24:00.6日の月が出ていたのだが月の入りが早くAM1:30頃には姿を消してしまったのには驚いた。月明かりが頼りになるのではと期待していたのでがっかり。
風はいよいよ強くなり砂を舞い上げ吹きまくる。砂嵐というやつだ。
東急ハンズで求めたゴーグルをかける。大きいので邪魔くさいと思っていたが、これがバッチリだ。
手ぬぐいで鼻と口をおおい嵐の中へ出た。この砂嵐は2日未明迄吹き荒れた。これは恐ろしかった。
特に砂丘で吹きまくられると体のバランスを保つのがきつい。
高い砂丘から転落したら這い上がるのが大変だろうと思うと恐ろしかった。又、コース探しにも四苦八苦した。枯れた滝登りをするのだが、ここに辿り着くまでの足場の悪い岩場をさ迷ったのも今でこそ笑って話せるが、真っ暗闇の中、大風にあおられての恐ろしい体験であった。恐ろしい夢を見ているような暗夜行で、闇の中のロバが砂丘で草を食べている場面に出くわした。まるで不思議な雰囲気で現実とは異なる世界に迷い込んだ幻覚を見ているような一時だった。

オーバーナイトのCP4からCP5迄は未知との遭遇ということか!サハラ砂漠ならではのきわめて痛快な体験であった。

オーバーナイトではフランスやドイツの選手のお世話になった。特に砂嵐の中、最も厳しい岩場から巨大な砂丘を越えのコースを共にしたドイツのMrリチャードは山場を越えて、単独行を決意し"ありがとうございました"と最敬礼した私を「oh!」と言ってハグしてくれた。国は違えど同じ苦しみを共有した者への優しさと労わりだと思った。感激し元気百倍、勇気凛々。マイペースで進んでいった。
CP5もテントはめくれ、CPを示すニューバランスの旗は折りたたんで重石がのせられていたがそれが今にも吹き飛びそうな風。

シュラフの選手がゴロゴロで休む場所はない。水の補給をし、食物を少し口に入れてストレッチングをしてAM4:30、まだ夜明けに間があるが地図を見るとほぼ直線。 なんとかなるだろうと出発した。ブッシュしたいで暗いし人はいないし……。トイレには丁度いい所だなとか、朝食はゆっくり食べようとか…詩心歌心というものが出ないのは残念。きわめて動物的になるものだ極限というものは!

やがて明るくなり岩山から朝日が出てきた。よし!行く手の岩山で朝食だ。岩山のてっぺんで「あんこ餅」を食べた。ゆっくりゆっくり味わって「あんこ餅」を食べた。

CP6迄は行けども行けども礫原。左足の拇指丘にタコができているのだが、そのタコの中にマメができて水がたまっている。
ふくらんだ足の底が痛い痛いと思っていたら、その水が行き場を求めてヌッと移動した。
見てもどうしようもないので、そのままビバーク地迄、がまんがまん。

ビバーク(B4)にゴールしたのは正午前。午前中にゴールできたなんて夢のよう。うれしいねェ。早速、足を点検するとたまったマメの水(汁)が柔らかい皮膚をめがけて移動したのだ。親指、人差し指、中指の間(指のマタ)に分散してそれぞれマメを形成している。柔らかい皮膚はたっぷりの汁で脹れ上がりプルプルと今にも破れそう。明日のフルマラソンが終われば皮を剥がそうがどういうことはない。今日はそっとこのままにしておく。夜はかなり冷えて寒く、セーターを着てアルミを巻いてシュラフにもぐる。

4月3日 フルマラソン

フルマラソンで今年のレースは終了になる。しかし食料は一日分確保せよという事でザックの中には食料が入っている。今日は走れるだけ走る、何がなんでも走る。気合を入れてスタートした。
快調に走れた、いい気分だった。
長瀞のような岩だたみの景観が見えてきた。水が流れている。豊かな川の流れ。砂漠で川に沿って走るなんてラッキーと思っていたら、なんと!なんと!この川を渡るのだ。橋なんてない。
川の幅は6〜7mもあったか。膝下まで、水につかってザブザブと川渡り。その後のシューズの重いこと。
砂は、へばりつくし…。でもサハラの暑さと乾燥はすごい、ゴールする頃には、かなり乾いてしまった。
地元の子供達が現れて、応援したり、何かくれとねだったりする。残り何qでもないなと分かったので大事に使った飲料水用のボトルを子供達にあげた。ゴール迄2kmはひたすら走った。
ゴールで坂東さんが待っていた。今日も日没には時間があった。

<おわりに>

あの悪条件の中でサハラ砂漠マラソンが決行された事に感謝します。
主催者、AOIの事務局スタッフの皆さんの不眠不休の努力の結果、24回大会が恙無く終了した事に感謝します。
予定外のHOTEL分宿や書類チェック、その他諸々。
AOIの機動力の素晴らしさ AOIの皆さん有難うございました。

飯田徳子

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