トップページに戻る 国境なきランナーズ(Runners Without Borders)
お問い合わせはこちらから サイトマップ English Page
レース情報 レースQ&A メールマガジン 活動報告 リンク
サイドメニュー:ネーチャーマラソンとは?サイドメニュー:レース一覧サイドメニュー:レース体験記
サハラマラソン挑戦記
挑戦者: 山口洋平 22歳 学生
レース: 第24回サハラマラソン
期間: 2009年3月30日〜4月3日(5日間4ステージ)
ランキング: 総合301位(日本人トップ)合計タイム:32時間54分53秒

2009MDS挑戦記写真 山口洋平

「サハラマラソンっていう世界一過酷なマラソンがあるらしいよ」

就職活動を控えた大学3年生の夏、友人の近藤にサハラマラソンの話をしたら「行くしかないっしょ」と言われてしまった。なんでも、近藤は、それを完走したらモテモテ&複数内定は間違いないだろうという。気がつけば自分は、ヨーロッパ周遊のために貯めていたバイト代を事務局の「国境なきランナーズ」に振り込んでいた。道具代や旅費を考えてもギリギリ足りる。親に借りるのだけは、カッコ悪いから絶対に嫌だった。

トレーニング

出場を決断してからサハラマラソンまで約8ヶ月。初の練習は5kmほどのジョグをした。しかし高校以来まったく運動をしていなかったため、すぐに疲れ果ててしまった。これでは砂漠で死んでしまうかもしれない…。そう思った自分は、ケガを覚悟で練習量を一気に増やした。月間500kmのジョグに10kg前後の負荷をかけ、スクワットや登山も組み込んだ。筋肉痛がない日はなかった。一方そのころ近藤は、練習もろくにせず彼女ができた上に就活を始めていた。

いざ出発

成田出発は、松本さんと近藤と同じ飛行機。マラソン未経験の3人だ。カウンターまで行くと、このチケットの予約が入っていないと告げられる。超格安な航空券に飛びついた自分ら3人は、詐欺にかかってしまったらしい。やむを得ず、2日後出発の新しい航空券を予約した。その日、自分は親にお金を借りた。

世界一の過酷さを前に

今回のサハラマラソンは、まさかの大雨の影響で例年とは違った展開となった。特筆すべきは第1ステージのキャンセル。そして、オーバーナイトステージが過去最長の91kmになったこと。一番懸念していたオーバーナイトだけに、不安が一気に広がった。はっきり言って、それ以外にも不安要素はかなりある。食料のことやバックパックの重量のことだって心配だ。

しかし、食料の約8割がチョコレートな上に帽子も日焼け止めも持っていなかった坂東さんや、限界まで食料を詰め続けてザックの重量が20kg近くなった高井さん(20代女性)を見て、なんか自分は全然ダメじゃないなと思った。

熱砂の出来事

雨でモロッコのホテルに2泊したことで、もう一人の大学生・楠原くんや近藤を含め、日本人の20代選手はほぼ全員下痢でのスタートとなった。そこにとどめを刺すかのように続く砂丘と岩山。容赦なく照りつける太陽。早くも初日から瀕死状態となった。その異常な気候のせいだろうか、汗の匂いはまったく気にならない。途中、近藤に100円のこいのぼりを押し付けられた九内さんは、そのこいのぼりが邪魔でゼッケンが隠れ、ペナルティを受けていた。

1日目にバカみたいにテンションの高かった外国人も、2日目にもなるとだんだん目が死んでくる。日本人メンバーも例外ではない。疲労は溜り、足の皮も剥けてくる。特に足が酷い状態にあった医師の猪さんと、ナースである生稲さんは、自ら用意した鎮痛剤を飲み続けて耐えていた。しかし、どういうわけかトライアスリートの木村さんだけはどんなに過酷で苦しい状況下でも下ネタしか言わなかった。

歴代サハラ最長であるオーバーナイトステージ。日が暮れた頃、目の前に山が立ちふさがった。本当にただの登山。富士山の8合目ら辺に似ている。暗闇の中、頂上までよじ登ったあげく、そこから道がないと思ったら順路を示すマーキングが真下に見えた。…滑落するわ。このオーバーナイトステージを、最年長女性参加者の飯田さんは不眠不休で27時間歩き続けてゴールした。その精神力には脱帽するばかりである。

最終ステージは、疲れが溜まっていることもあり死にかけた。ステージ中盤頃に三途の川が見えて若干あせったが、それが三途の川ではなく本物の川だと気付いたときにはもっとあせった。砂漠なのに、まさか川を突っ切らなければならないとは…。橋も迂回ルートもない。しかし、外国人選手たちは皆それを躊躇なく突破していた。マメにバイ菌が入らないか心配だったが、他に選択肢はなかった。

不思議な思い出を

サハラマラソンを終えて、1番欲しかったものが手に入った。本気でやれば何でもできるんだという自信だ。そして、普通に生活していたらまず知り合えないような日本有数のぶっ飛んだ人たちと、性別や年齢を越えて仲良くなれたこと。サハラ砂漠でのテント生活は遠い夢のように感じるけれど、あの刺激ある日々は忘れない。まるでテレビゲームやマンガの世界にいたようだった。

家に着き、2週間ぶりの部屋には借りっ放しのCDがあった。現実は甘くないなと思った。

山口洋平

レース体験記一覧に戻る