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サハラマラソン挑戦記
挑戦者: 樺澤 秀近
レース: 第22回サハラマラソン
期間: 2007年3月23日〜4月2日

ハノイ・チャレンジサハラマラソン

1.サハラマラソン挑戦の動機

このレースを知ったのは3年ほど前にインターネットでマラソンなどいろいろなレースを検索しているときに見つけた。私は海外に行ったことがないし英語もまったくできないので「すごいレースだ!」と興味を引かれたが、そのときは本当に行くことになるとは思わなかった。自分は行くことはないだろうと思いつつもずっと気になっていて2006年5月に「本当に行くか!?」と決意する。チームメイトの佐藤くんに「サハラマラソンに行こうと思うんだけど一緒に行かない?」と声をかけたところ、1週間後に佐藤くんから「会社に休暇の申請をしました」と回答が来たので行くしかなくなってしまった。

2.サハラマラソンに向けての準備

私はマラソンを走っているが、ときどきアドベンチャーレースという、走ったり、マウンテンバイクに乗ったり、カヤックを漕いだりするレースに出場する。いろいろな環境でおこなわれるレースに出場しているため、サハラマラソンに持って行ったら良さそうな装備はだいたい予測でき、いくつかの装備は軽量化のために買い換えたが全てを買い揃えるという手間はなかった。一番悩んだシューズは普段のジョギングで使用しているものと同じモデルで、サイズは1.5センチ大きいものにした。シューズのメッシュの部分から砂が入らないようにマジックテープでカバーを取り付ける必要があったが、主催者から日本人参加者にサハラマラソン用のゲートルがプレゼントされたのでかなり助かった。トレーニングについては何度か荷物を背負って走ったり、砂浜を走ってみたりしたが、普段は特別なことはせずマラソンの練習をしていた。

3.サハラマラソンへ

■3月21日
成田空港で佐藤くんと待ち合わせ。他のサハラ出場者がいないかと注意するがそれらしい人は見当たらなかった。初めての海外旅行へ出発。佐藤くんも海外はツアー旅行で一度行ったことがあるだけで英語もわからないので2人とも不安だらけである。飛行機には英語とフランス語の会話集を持ち込んで勉強していたが、いくら英語ができないといってもまったくやったことのないフランス語に比べれば簡単に感じたのは新しい発見であった。フランス語はあきらめフランスに到着してからの行動で使いそうな英語にしぼって勉強した。この日はパリに宿泊。

■3月22日
今日はパリで1日フリーである。装備の買出しのためにアウトドア用品のお店に買い物に行く人もいるが、装備については自信が持てるだけの準備ができていたので買い物には行かずに観光を楽しんだ・・・と言いたいところだが初めて海外の地で歩き回って疲れてしまった。夜は同じホテルに宿泊している日本人参加者と一緒に夕食を食べに行った。

■3月23日
朝、暗いうちにホテルをタクシーで出発し空港へ向かう。空港でモロッコに向かうチャーター機のチケットを受け取るところからサハラマラソンの日程のスタートである。空港でサハラマラソンの日本人参加者9人全員が揃った。
モロッコに到着したあと、バスで6時間、ジープで15分ほど移動しサハラマラソンスタート地点のキャンプへ到着。レースが始まるのは25日からでそれまでの間はテント生活ではあるが、食事は主催者側から提供される。調理用のトレーラーが来ていておいしい食事をすることができる。

■3月24日
朝は寒さで目が覚めた。温度計を見ると11℃。予想の範囲の冷え込みで、朝は寒さで目が覚めるのも予定通りであった。今日は装備チェックとセレモニーがおこなわれる日。日本チームの装備チェックはお昼ごろだった。チェックを受けたときにレースで使う装備以外のものは主催者側に預ける。手元に余分なものを全て排除した装備だけが残り不安な気分になる。午後は宍戸さん、佐藤くんと近くの岩山に登って景色を眺める。「本当にサハラに来てしまったんだ」と実感する。夕方からセレモニーがおこなわれ大いに盛り上がった。

■3月25日
いよいよレーススタートの日。朝6時過ぎになるとベルベル人がテントを片付けに来る。中に人がいてもためらわずにテントを壊していくので、のんびり寝ていることはできない。今日から食事は自炊になる。朝食はちょっと豪華にサンマの蒲焼の缶詰。缶詰は重たくなるのでレースには不向きだが初日の朝食なら背負って走らないので問題ない。そしてついにスタート。涼しい風が吹いていて暑さはまったく感じない。途中の小さな砂丘では砂丘の景色を楽しみながら走れた。12時ごろ急に暑くなったように感じた。空腹感もあったが、そろそろゴールが見えても良さそうなところだったため行く手の丘を登りきってゴールが見えたら補給なしでゴールについてから昼食にしようと決める。丘を登ったらゴールが見え、そこまでは下りと走りやすい平地に見えたので一気に走りきることにした。ところが平地に出てからゴールは見えているのになかなか近づかず、平地の途中で力尽きて歩いてゴール。ゴールしたあと最後の無補給がいけなかったのか、胃が水も食べ物も受け付けなくなってしまい胃液を吐いて苦しむことになってしまった。それでも水を飲まなければ回復しないので吐き気をこらえながら少しずつ水を飲み続け、夜になってようやく食事ができるようになった。今日は予定していたカロリーの半分も食べれなかったため「明日はランキングから消えてしまうのでは?」と思った。他の日本人参加者もそれぞれに厳しさを実感したらしく、昨日までの盛り上がりは何だったんだろうというくらい静かになってしまった。

■3月26日
今日は山のアップダウンが多いコース。登りで歩き始めると外国人選手にどんどん抜かされていくが、彼らは下りが遅く、下りになると抜かし返すことができる。昨日の補給ミスと、その後きちんと食事ができなかったということがあったので、チェックポイントで栄養バランス食品をきちんと食べるように心がけた。今日は順位などはまったく気にせず体調を崩さないことだけを考えていたが、それでも若干の給水不足を感じた。ゴール後に水ぶくれができていたのでメディカルに行ったほうがいいか宍戸さんに相談すると「メディカルでは皮膚を切り取られてしまうので、ひどくなければ自分で治療したほうがいい」と言われたので、安全ピンの針を火であぶって水を抜き、消毒液で洗って乾かした。

■3月27日
昨日はしっかり食事を摂ることができ、体調も良くなったので少しペースを意識してレースすることにする。上位選手がどのような走りをしているのか見てみたかったので最初だけペースを上げて上位グループを追う。先頭集団は荷物を背負っていないかのような軽快な走り。5分ほどしてからペースを落として後退する。すぐに日本人トップの井上くんが抜かしていった。補給はうまくいったと思うが、後半の砂地で体力を奪われ、相変わらずゴールが見えてからが遠く歩いてしまった。ゴールが見えているところで歩いてしまうのはとても悔しい。

■3月28日
オーバーナイトと言われるもっとも距離の長いステージ。最初の30kmは抑えめに走り、30kmから40kmあたりまでの砂丘は完全に歩きで食事をしたり水で体を冷やしたりしながら進む予定にした。この区間は日中の1番暑い時間帯に通過するためここで体調を整えておいて夕方から残りをしっかり走りきる作戦である。これが一番安全かつ速いように思えた。夜になってから最後のチェックポイントを過ぎて一人になってしまい、スタッフがコースの目印に置いた蛍光スティックを探しながら歩いていると、後ろから現れた外国人選手2人組みに手を引っ張られた。「一緒に行こう!」ということだと解釈し2人の後ろについていく。夕方からの冷え込みと強風が想像以上に厳しく走るのがつらい状態になっていたためゴールが見え始めたころに外国人選手についていけなくなり、最後はまたも歩きっぱなしでゴール。オーバーナイトとはいえ21時ごろにゴールしたため暗い中を走ったのは2時間程度。疲労と寒さでテントに倒れこみすぐに寝袋に潜り込んで就寝。

■3月29日
オーバーナイト2日目。昨日のうちにゴールした選手にとっては休息日である。日本人では井上くん、佐藤くん、宍戸さん、私の4人が1日でゴールしている。夜中もレースもしくは途中のチェックポイントでビバークしている
他の日本人選手達は大丈夫だろうかと心配になる。10時半ごろ主催者から悪いニュースがあり途中のチェックポイントで仮眠を取った選手が死亡したと伝えられた。改めて自分達が過酷な環境でレースをしているのだと意識させられる。

■3月30日
フルマラソン(42km)ステージ。明日の最終日は11.7kmと距離が短いため順位を上げるならここで勝負をかけるしかない。ここまで序盤の補給ミスと安全重視の作戦できっちりがんばりきれていない感じがあるので、このステージにすべての力をぶつける。食料もあと1日分あればいいので大量に廃棄して軽量化。3日目くらいからは体調も安定してきたが思ったほど食べることができてなく「絶対に体重減っているな」と思う。スタートから前に出て飛ばす。勢いあまって最初のしばらくはトップの選手と並走する。これまでのレースで砂地は体力温存のために歩くことが多かったが今日は砂地もしっかり走った。ゴール前の長い長い平地もしっかり走りきり「今日はいい仕事をした!」と大満足でゴール。いよいよ明日を残すのみとなりテントでは「明日の今頃はカフェで肉を食べているんですよ!」とレースが終わったら何を食べようかという話ばかりしていた。

■3月31日
砂漠での最後の日。早く終わって帰りたかった。今日の夕方にはホテルでシャワーを浴びておいしい食事をしているはずである。今日のコースは大部分が砂丘。とても美しい風景であるが、もう砂丘はうんざりだった。そういえば砂丘を見て喜んでいたのは初日だけだったなあ。砂丘をじりじり進みようやくゴール。ゴールした瞬間は「すごい達成感とレースが終わってしまうことの寂しさ」を想像していたが、「次の挑戦へのスタートに立った」という感じの冷静な自分がいた。ゴールで会った井上くん、佐藤くんと喜び合い、バスに詰め込まれてゴール地点であるメルズーガの街をあとにした。

■4月1日
ワルザザードのホテルで一夜を明かし、ホテルのプールサイドで朝食。昨日までの生活とのギャップを楽しむ。
日中は市場を散策。午後は表彰式。夕方になってから井上くん、佐藤くんとジョギングで、西に夕陽、東に満月を見ながらワルザザードの街を回る。日本人の中で走り回れる程度に無事なのはこの3人だけであった。

■4月2日
モロッコからパリへチャーター機で移動。これでサハラマラソンの日程は終了。パリ宿泊。

■4月3日
日中はパリ観光。夕方に空港へ移動し20時の飛行機で日本へ。

4.サハラマラソンを終えて

日本に帰ってからいろいろな人に、なぜサハラマラソンに挑戦したか、人生観が変わったかということを良く聞かれる。正直なところ、行ってみたいから行っただけだし、人生観というほど大げさな変化があったとも思えない。正確には言葉にできないというのが正しいかもしれない。説明はできないけれど自分の中に何かを残した経験だったということは間違いない。私も行く前に過去の参加者の話を聞いたりしたが、実際にサハラマラソンを走ってみて「人の話を聞いた程度では半分もわからない、実際に体験するしかない」と思った。レースが終わったときには「こんなきついレースはもう一度やれと言われても無理だろうな」と思っていたが、帰国してしばらくしたら「また行きたい」と思うようになった。またいつかサハラに行くのを楽しみにしている。

HPに可能な限り細かく記録したレポートを作成していますのでご覧ください。
サハラマラソン(冒険野郎の館)


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