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レース体験記:アイルランド・チャレンジ挑戦記
挑戦者: 山田重徳
レース: アイルランド・チャレンジ2006
期間: (1)大会期間:2006年7月7日〜7月16日
(2)レース期間:2006年7月9日〜7月14日(6日間)

アイルランド・チャレンジ体験記

7月4日、インターネットのGoogleから「海外マラソン」で検索してこの大会の存在を知ってから約8ヶ月、ようやく憧れのアイルランドの土を踏むことができました。ホテルに着いたのは現地時間で午後10時過ぎ、今朝目を覚ましてからほぼ24時間になろうかとしていますが、時差が日本から見てマイナス8時間あり、今からまた寝なきゃあいけないのかと思うとこの国の遠さを実感することができます。

アイルランドに対する憧れといってもそれはただ漠然としたものでしかありませんでした。妖精の国、ギネスビール、アランセーター、フィッシュアンドチップス、モルトウイスキー、お節介ともいえそうな篤い人情、多くの作家を生んだ国。是非とも行ってみたいと思っていた土地に今立っています、それも6日間で180キロを走るというすばらしく過酷な目的のために。

まずは時差に慣れるために3日間ダブリンに滞在します。

7月5日 ダブリン市内観光。

これはヨーロッパ全体にいえることかもしれませんが、この町自体が古代遺跡ではないかと思えるくらいに古い町並みや有名な教会などが身の回りにたくさんあります。今日のお目当てはセントパトリック・カテドラルとトリニティー・カレッジ。ガイドブックからは伝わってこない生の感触がありました。
第1印象ですから誤解もあるかもしれませんが、この国には太っている人が非常に多い。しかも年取ってから太るのではなく、若いうちからそうなのです。コンビニの店頭にはたくさんのチョコバーが並び、道行く人の内にはコーラの2リットルボトルを手に持って飲みながら歩いている者もいます。女性は短いこの夏の時期を楽しむためか、肌の露出度の高い服を着ている人がほとんどです。顔はやや小さめに見えますが胸は大きくて逞しく、ベルトの辺りで肉がはみ出し、お尻はでっぷりと洋梨形をしています。人柄は人なつっこく人情味に溢れています。歩道上で地図を眺めていると寄ってきて道を教えてくれようとしますし、売店で缶入りのギネスビールを買うと美味しい飲み方の指導までしてくれます。数日の滞在者でしかない私たちに対するこの国の人たちの篤い人情を感じました。

7月6日 世界遺産の1つ、ジャイアンツ・コーズウェイの見物。

六角形の柱状摂理は自然の不思議さを感じさせますが、その規模の大きさにはさすが世界遺産だなと驚かさせられました。
物価について、日本よりやや高めに感じます。この日帰り観光ツアーの料金が99ユーロ、日本円にして約15,000円です。食事も付いていません。自販機での水やコーラが1.2ユーロ位ですから、やはり2割くらい高いのかなと思いました。

7月7日 集合地点のシャノン空港へ。

ダブリンからどうやって行こうかとあれこれ迷いましたが、結局列車での旅を選びました。駅で缶入りギネスを2本買い込み、窓から見える緑の景色を楽しみながらの3時間程の旅でした。
Raid CELTIQUEは遇数年に開催され、今回で3回目。今までに日本からの参加者はいませんでした。それが今回はイチローさん、テツさん、私の3人がエントリー、お互いに日本人初という所に惹かれたとのことで、3人の性格が偲ばれます。
空港では今大会の責任者のポールが先に私のことを見つけてくれました。ポールの英語力と私の英語力は同じくらいで、お互いに身振り手振りで必死になって自分の意思を伝えようとしました。
空港から車で2時間ほどの所に今回の目的地Allihiesという村があり、さっそくそこへ移動します。
ここで今大会中の最大の事件がおきました。パリからシャノン空港に降り立ってきたメンバーの中に、なんとイチローさんがいません。テツさんも心配のためか疲れのためか少し青い顔をしています。イチローさんとテツさんは香港で合流し一緒にここへやってくるはずだったのですが、テツさんは香港でもイチローと会えずパリの集合場所にも来ていなかったので、もしかすると乗り継ぎがうまくいかなかったのではないかと心配顔です。何とか携帯電話がつながったので事情を聞いてみると、イチローさんはパリでの集合場所を間違えていて、指定時間の2時間前からズーッと6時間も待っていたそうです。ポールと話し合って、次の日の同じ便でこちらに来るようにとの指示。ところが次の日にはこの便は飛んでいなく、結局イチローさんが我々に合流したのは2日後の7月9日の夜でした。しかしイチローさんの凄さはここからで、1日目に走れなかった分も2日目に取り戻してしまいました。さすがスパルタスロンのフィニッシャーだと驚嘆させられましたが、でも集合場所は事前にしっかり確認して、次回からは空港で野宿するなんてことは止めたほうがいいですよ。

7月8日 朝から雨模様。

することがないのでテントの中で、ダブリンで買ったティンホイッスルという笛の練習。あまりの下手さに横でテツさんが迷惑そうな顔をしていました。
夕方スタッフと一緒に村のパブに行き、さっそくお目当てのギネスビールを飲みました。天気は悪くても本場で飲むギネスの味は格別です。グラスを重ねるうちにスタッフや他のランナーともだいぶ打ち解けることが出来ました。
雨は激しさを増すばかりで、危険だというのでテントを撤収して村の公民館に移動することになりました。今大会の出場者はランとウォークを合わせて29名(内日本人3名・ドイツ人1名、後は全員フランス人)、スタッフ(フランス人)が約10名、それに高校生のボランティア(フランス人)が20名位で、全員がバレーボールコートほどの公民館に雑魚寝状態でした。
ここで食事のことを書いておきます。基本はツナサラダの缶詰に食パン、シリアル、コーヒー、紅茶、牛乳です。食パンには蜂蜜かジャムをつけて食べます。ツナサラダは何種類かありましたが、これが3食毎日続きます。たまにインスタントのパスタがあって食事に変化を付けてくれました。自分で料理をするということでしたので、何か調理を要するものが出されるのかと期待しておりましたが、ほとんど温めるかかき回すだけでした。

7月9日 天気は見事に回復しました。

朝のうちにテントを設営し、午後からいよいよランの始まりです。我々日本人は個人とチームの両方でエントリーしていまして、気分を盛り上げるためにユニフォームを新調しました。ジーコジャパンに習ってサムライブルーです。
今日の距離は7キロ。ここ1週間ほど全然走っていなかったので、丁度よい練習になりました。でもテツさんは4月からジム通いを再会したという程度で、元来ランナーではありません。心配しているとポールが車でやってきて、「大丈夫、テツはまだ死んでない。」と情報をくれました。それから数分後、テツさん何とか最後まで走って帰って来ました。
コースはその日のうちにスタッフがテープで目印を付けてくれ、走り出す前にコースの説明があります。この時の説明はフランス語でされるため、私たちにはさっぱり判りません。全員に対する説明が終わった後、英語を話せるスタッフが日本人とドイツ人に英語で説明します。ところが私たちの英語力は大変怪しいもので、いくつかの単語を拾い聴きして判ったつもりになり、「I see,I see.No problem.」を連発して一応スタッフを安心させておき、みんなの後にくっついて行く事にしました。
この日は丁度ワールドカップサッカーの決勝戦の日。夕方からは村のパブではみんなでテレビ観戦して大騒ぎでした。高校生のボランティアたちもこの日はパブにやって来ており、話をすることが出来ました。日本に興味を持っているフランス人は意外に多く、彼らもいくつかの日本語の単語を知っていました。主にインターネットやアニメなどから覚えるのだそうです。
夜12時過ぎにイチローさんが到着。これで全員集合してやっと一安心です。

7月10日 この日は25キロのランです。

半島の南側をぐるっと回ります。天気が良く、美しい景色の中を走るのは爽快そのものです。チェックポイントではボランティアの高校生たちの楽しい声援が待っていました。昨日パブで仲良くなった女の子たちの笑顔と「ガンバッテ!」という日本語の応援に後押しされました。
この日私に小さな事件が起こりました。調子良く走っているとリュックに入れていた水の栓が外れて一緒に持って行っていたパスポートなんかが水浸しになったのです。これに懲りて次の日からはウエストポーチにして、パスポートは置いて行くことにしました。
イチローさんの走力はやはり大したもので、私の遥か前方を走っていました。更にはゴール後、昨日走れなかった分も走りたいと申し出て、スタッフの先導で7キロ走ってしまいました。
この日のテツさんは大変辛かっただろうと思います。25キロといってもコースは起伏に富む牧草地が主で、体感的には30キロ以上に感じられます。あまりに帰りが遅いので、ドクターが私に「あいつは走るのは今回が初めてか?」と聞いてきます。私も曖昧に「多分そうだろう。」と答えておきました。

7月11日 この日の距離は40キロ。

村を突き抜けて丘を越え、半島の北側の小さな村を回り、最後は山登りです。きれいな道が多かったせいか、距離の割にはあまり疲れませんでした。「ベストを尽くして頑張る。」と他のランナーに話しかけると、「おいおい、まだ3日目だぜ。そんなに張り切るなよ。」と笑われてしまいました。(多分そう言ったんだろうと思います。)
テツさんはこの日から繰り上げスタート。ウォークのキャサリンをライバルと定めて、「あいつには絶対負けない。」と張り切って出かけました。第3チェックポイントあたりで会おうと約束していたのですが、そのだいぶ手前で疲れきったテツさんの後姿を捉えてしまいました。キャサリンは遥か前方にいます。テツさんこの日はキャサリンに完敗です。
今大会の記録員のフィリップからチームの名前を決めるように催促がありました。我々としては「チームジャパン」を正式名称と考えていたのですが、それでは面白くないとのこと。そこで高校生たちが「ガンバッテ」と応援してくれていたのを思い出し、「チーム・ガンバッテ・ジャパン」としました。それからは大会期間中、朝の挨拶の時にも「ガンバッテ」の日本語が飛び交うようになりました。夜はこの日も村のパブへ出かけ、ギネス三昧です。

7月12日 この日はテント地をWatervilleに移動します。

朝からテントを撤収し、スタッフの車に乗って行きます。Kenmareという町で休憩し、公園のベンチでランチのツナサラダと食パンを食べました。
途中で下車してテント設営はスタッフにお任せし、25キロ走ってWatervilleに入ります。この日のコースはほとんどが牧草地の中で、ヒツジや牛を驚かせながら走っていました。また途中湿地が多く、足首まで泥の中に入ってしまう事も度々でした。
この日イチローさんは途中で道を間違えてしまったため、タイムを大きくロス。2時間半前にスタートしていたテツさんとでイチローさんの帰りを迎えることになりました。
今回のテント地は村から2キロほど離れているとのことなので、敢えてパブには行きませんでした。スタッフがすぐそこの海で採れたというタラやサバを焼いてくれ、私が持ってきていたウイスキーでささやかな宴会です。

7月13日 今大会で最長の44キロです。

3回ほどの山登りがあり、途中2回ほど道をロストしてしまったため、感覚的には100キロを走ったのと同じくらいの疲労感がありました。大会も5日目となり、かなりの蓄積疲労があったのかもしれません。
ゴールして足のマッサージをしていると、先にゴールしていた選手から「俺の前にいたお前の仲間はどこに行ったんだ?」と聞かれました。イチローさんの事です。私は「たぶんシャワーでも浴びに行ったんだろう。」と答えますと、「いや、そんなことは無い。」と言い張ります。するとゴール手前から「ガンバッテ、ガンバッテ」の声援が聞こえてきました。イチローさんです。彼はこの日も道を大きくロストしてしまって、50キロ以上は走ったと言っていました。
この日はスタッフが買出しに行ってくれて、缶入りギネスが2本飲めました。おかげでバーベキューのローストビーフを肴に、ホッと一息つくことができました。

7月14日 いよいよランの最終日。

Dingleに入ります。テントの撤収はスタッフにお任せして、出発地まで車で移動です。
この日の距離は32キロ。最初7キロほどは海岸線を走ります。美しい景色にウットリしながら至福の時を味わい尽くそうとしますが、それでも途中いくつかの岩山などがあり、かなりのきつさです。最後の最後でケガなどしないようにと注意しながら、目出度くゴールすることができました。
ユースホステルでさっぱりと汗を流した後、Dingleの街へくりだして美味しいシーフード料理に舌鼓を打ちました。その後はパブのにぎわいに誘われて、心ゆくまでギネスを味わったのはもちろんです。

7月15日は休養日兼表彰式。

イチローさんは世界第10位、私は13位、テツさんも27位に入りました。そして我がチーム・ガンバッテ・ジャパンも、総合第6位の成績を収めることができました。テツさんの最後のスピーチはみんなに受けていましたね。私も次回参加するときは、「ボンジュール」や「メルシー」以外に何か気の利いたフランス語を覚えていきたいです。

レースを終えて

イチローさん、テツさん、大変お疲れ様でした。皆さんとの思い出はギネスの味と共に決して忘れることはありません。また年甲斐も無く一人ではしゃいでいた私をお許しください。最終日には日の丸のタトウーシールを貼って走ってくれてありがとうございました。
最後に大会運営にご苦労されたスタッフの皆さん、ボランティアの高校生の皆さん、我々を仲間として温かく迎えてくれたランナーの皆さんに感謝します。そして我々が大会前から仲良くなれるように、チームとしての参加を提案してくれたフリーマンのトモコさんにより一層深く感謝します。

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