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レース体験記:ベトナム・チャレンジ挑戦記
挑戦者: 隅田 哲雄
レース: 第20回 サハラマラソン
時期:

(1) 大会期間:2005年4月8日〜4月18日
(2) レース期間:2005年4月10日〜4月16日(7日間)


  2005年4月10日、北アフリカ・モロッコのサハラ砂漠の真ん中に自分がいる。
「3・2・1(トロワ―・ドゥー・アン)」のカウントダウンでスタート。7日間で245.7kmを走破するサハラマラソンへの初挑戦が始まった。

■ サハラへの道

 

国内のウルトラマラソン(四万十川・サロマ湖)には何度か出場しており、出場毎にいろんな感動を得ていた。数年前、サハラマラソン経験者に、「サハラの感動はそんなものじゃない」 と聞かされ、"いつかはサハラ"が頭の片隅から離れなかった。
2004.10 募集要項を取り寄せると、出たいという思いが高まり、ついに応募してしまったのである。
普通の人には、ウルトラマラソンに出るだけでも変人扱いされるのだが、サハラマラソンとなると、ウルトラマラソンの仲間からも"かなり変"と思われたようだ。周囲(家族・会社・親戚)からの「出場反対!」の声に断念しようとも考えたが、最後は周りのほうがあきらめた?のか、快く送り出してもらえた。

・練習
私の住まいは高知県。太平洋を望む海岸などのオフロードコースを中心に練習した。サハラマラソンは走る以外に衣食住の荷物(10kg程度)を背負わないといけないので、これも練習した。満足に担げるようになったのはレース直前だった。

・装備
主催者が指定する持ち物については、軽さを重視して選んだ。
食料については7日間飽きないようにメニューを構成した(※1)。あまり好きではないがサプリメントも頼りにした。

(※1)
一応日本で買いそろえていったが、パリで時間的に余裕があれば市内のスーパーマーケットで調達するのがおすすめだ。

■ いざサハラへ

 
4/6(水)日本→フランス移動
    成田で日本人参加者6人と事務局松永さんにお会いする。
  4/7(木)フランス→モロッコ移動
    パリ在住の事務局Misakoさん合流。日中は自由時間、事務局の2人とともに昼食。ワインを飲みすぎた。パリの空港で残りの日本人参加者2人とお会いし、全員集合となった。
飛行機は一時間ほど遅れて夜中にモロッコ到着。パリで預けた荷物が届かずあせった。飛行機に積み残したらしく結局この日は受け取れなかった。
  4/8(金)モロッコ国内移動(スタート地点へ)
    ホテルで朝食後、バスで320kmほど離れたスタート地点まで移動。夕方到着
この日からテント生活の始まり。夕食後やっと荷物が到着し一安心。
この夜は楽しみにしていた夜空が出迎えてくれた。流れ星、人工衛星(動いているのが見える)、天の川までくっきりと見えた。
  4/9(土)メディカルチェック・テクニカルチェック
   

両チェックともに簡単に終わった。例年荷物の詳細まで調べるそうだが、今年は参加者が多いので簡素化したのだろう。
日中の自由時間を利用しテントから見える丘を散歩した。途中、アンモナイトなどの化石だらけの岩や石ころがごろごろしていて驚いた。感動!。

   

丘の上まで来ると私たちのテントは、開催回数である"20"の数字をかたどって設営されていることに気が付きさらに感動した。
夕方からは激しい砂嵐となり、仕方なくテント内でおとなしく?していた。(実は事務局の松永さんとパリで調達したお酒(パスティス)を二日酔い寸前まで飲んでしまい、夜中に目覚めたときあせった)

■ レース

 
4/10(日) レース初日 STAGE1 29km : 無難な一日目
    この日の朝食から自給自足の始まりで、火を起すことから始め食事・片付け・レース中のパッキングまでを効率よくこなさないといけない。不慣れなせいか時間がかかったが何とか間に合った。
レース前、事務局の方にレースの抱負をたずねられ
@サハラを楽しむ A完走 B1週間禁酒
の3つをあげた。(Bはどちらかというと必然的そうなるのですが)
そのほかにも走る前から決めていたことがあった。未体験の距離なので半分の距離(4日目の半ば)を過ぎるまでは無理をしないこと。
 
いよいよスタート。
いつもスタートは最後尾からと出発していたので今回もそうした。3・2・1のカウントダウンと同時に777人が一斉にスタート。ゲート通過時に「サハラ〜 よろしく〜 」と大声で挨拶した。いよいよ245.7km・7日間のレースが始まった。
ランナーの流れが落ち着くと、"サハラの大地を走っているんだ&何でこんなところを走ってるんだろう? "と不思議な感覚を覚えた。
調子はそれほど悪くなかったが、コース上に砂丘が出てくると、安定したペースを保てなかった。20kmほど走ると空腹感や疲労感が出てきたので、残りのゴールまでは歩きを入れながら走り終えた。
気温は高いが湿度は低く、意外と暑いと感じなかった。汗かきの私でもこれなら大丈夫だ。
ゴール後は洗濯・夕食などをすませ8時ごろには就寝した。
とりあえず無難に初日をこなしたように思えた。
  4/11(月) レース2日目 STAGE2 37.5km : トラブル発生 歩き通しました
    夜中に目覚めトイレにいった。テントから50mぐらい離れたところで用を済ませ、来た方向に帰ったつもりがぜんぜん違う方向に帰ってしまい少しあせった。夜空の美しさに方向感覚を失ったようだ。油断大敵、サハラは怖いと思った。
朝起きると右足ふくらはぎに痛み・違和感があった。予想外のことだった。まだ残りの距離は200kmをはるかに超えている。今日は大事をとって歩きでスタートすることに決めた。ベテランの小室芳子さんも調子が悪いようで一緒に歩くことにした。
しばらくしたら痛みは和らぐだろうと思ったが、むしろひどくなり少し足を引きずるようにしないと、歩けなくなってしまった。「おーい左足〜、最後まで持ってくれ〜」心の中で祈った。どうなることかと思ったが、幸い小室さんからもらった痛み止めとこれまでの経験など楽しい会話が出来たおかげで何とか痛みの進行は止まったようだった。
この日は山岳コースがメイン。最後の山越えは急な崖を登るコースが設定されており、疲労と恐怖で座り込んでいるイギリスの女性が私の直前にいた。後にも先にもここだけだったが、スタッフがコースを丁寧に指導して、「休まずに一気に上れ」と激を飛ばしていた。やっとのことで頂上まで登ると、この日のゴールBC3が見え俄然元気が出てきた。ずっと歩きとおしたが最後だけは、山を登れずにいたさっきの女性ランナーも一緒になって3人で走ってゴールした。
ゴール後、大事をとってメディカルに行き痛み止めと湿布剤のジェルをもらった。
この日、我が日本人テントに見知らぬ日本人のお客さんがやってきて皆びっくり。この夜、主催者が企画していたクラシックコンサート(砂漠の真ん中で聞けるなんて・・・感動ですよね)のオペラ歌手の方(浦田典子さん)でした。彼女も日本人に会えて驚いていました。
今日は疲れたしクラシックも聞けたし足も痛いし早々に就寝。
  4/12(火) レース3日目 STAGE3 41km : 砂丘越え初体験 ゴール後足がむくんでいた
    足の痛みは昨日ほどではない。歩き通すと制限時間ぎりぎりになるので少しは走ろうと決めた。
この日は楽しみにしていた砂丘越えのステージである。
コース中盤から砂丘へ突入。さらさらの砂にひざ上まで埋もれながら高さ10mほどの砂の山をいくつも越えた。登りはつらいが下りは一気に駆け下りることが出来るので楽しい。砂丘越えを終えると調子がよくなり最後まで走ることが出来た。
この日のゴールBC4に着くと、元気な体とは裏腹に左足がパンパンにむくんでおり、またもやメディカル直行。湿布のお世話になる羽目に。痛みはそれほどではないが不安が・・・。最後まで持つのだろうか?
  4/13(水) レース4日目 STAGE4 76km : 長い距離ほど得意? 歌いながら走る。
    いよいよこのレース最大の難関オーバーナイトステージ。この日のうちに帰ってくれば、翌日は一日休養できる。本日のゴール目標、時刻深夜12:00に定めた。
レース中何ヶ所かで日本人スタッフの方が写真を撮ってくれていた。運悪く彼らの待ってくれている場所では歩いていたので「走れ〜」の声援が飛んできた。走ってるところを見つけてよ〜!。
途中、林 友佳子さんを見つけたので歌を歌いながら追い越すと一緒に歌ってくれました。(砂漠の真ん中で歌うなんて・・・♪幸せなら手をたたこ〜♪)
CP3の手前で、我々の3時間後に時差スタートしたトップ集団がやってきた。歩くのも大変な砂の上をぴょんぴょん走っている。感心するしかない。
CP3に着いてこれで全行程の約半分。何とか左足も耐えているし、ここからは、ギヤを一速上げて走り始めた。あら不思議、結構走れるじゃん。それどころかさっきまで抜かれ放題のトップ集団(の遅いほうの人)と対等に走れているし、なんと砂の上もきちんと走っている。CP4では先行していた羽隅順子さんに追いついた。ここで蛍光スティックをもらい明るいうちにバックパックにセットした。(羽隅さんのアドバイス)。景色は夕映えに変わりつつあり、明るいうちに行けるところまで行きたいという思いから行動食を食べすぐに出発した。
CP5付近まで来ると暗くなり始めたのでヘッドランプを点灯した。暗くなってからはほとんどの人は転倒を恐れ歩いており,自分もそうした。 10分ほど歩いて目がなれたころには再び走り始めた。何度かつまずいて怖い思いをしたがなんとか転ばずにすんだ。目標は先行する人の蛍光スティックの明かりのみ、自分の明かりもまた後の人の目標になっているかと思うとしっかりコースを見極めなければ、と気が引き締まった。
このステージ最後のCP6に着くと、渡された水のボトルにはマンガの顔が描いてあった。これはダレ?と手渡してくれたスタッフにたずねると、隣の男性スタッフだ!と冗談交じりで答えてくれた。その人も"おれこんな顔? "といって3人で爆笑。つらいときに笑うと不思議と元気が出る。
残り後5kmほどのところで、ヘッドランプの電池が切れる寸前の状態で歩いていたフランス人ランナーがいた。私の持っていた予備のヘッドランプを貸してやるとすごく喜んで使ってくれた。(翌日テントまで返しにきてくれた。)
結局、BC5には目標の深夜12:00よりだいぶ前にたどり着くことが出来た。良かった、明日は一日休める。ここのところ日課になっていたメディカル通いは、あいにく時間切れだったので翌朝行くことにした。
  4/14(木) レース5日目 STAGE4 休息日 治療に専念
   

朝一でメディカル直行したものの早くも一時間待ちとなっている。日ごろ鍛えているアスリートもここまで来るとあちこち怪我だらけだ。背中の皮がむけたり、足に出来た大量あるいは大きなまめをつぶしていたりで見ているこっちが痛くなる。私自身も左足の負傷に加えまめが5箇所できてしまいぼろぼろである。左足は痛みと腫れが引かないので湿布で冷却。
まめはドクターの言うとおりの治療をした。

[ 恐怖のまめの治療法と治療中の様子]

恐怖のまめの治療法と治療中の様子1) まめ部分の皮はナイフで全て剥ぎ取る。
皮を剥ぎ取るとすぐにハエがやってきて体液を吸い始めるので追い払いながら作業をするのが大変である。

2)剥ぎ取った部分は十分消毒する。消毒中の激痛は刺激的である!

3)消毒が終わると薬を塗ってできるだけ乾かす。(赤チンのような薬をもらった)
後はひたすら乾かすだけ。乾かしている間の敵はハエと砂である。足に着けるカバーをくれることを知らなかった私はしばらくこの戦いに苦しんだ。

4)走るときは、コンピード(絆創膏のように貼るとそのまま皮膚になるもの)を貼ってテーピング処理。
何個もまめが出来るとテーピングによって足が大きくなる。(靴のサイズは2cmほどオーバサイズを選定する必要があるのはこのためなのだと理解した)。

この日は治療後一日ゆっくり休んだ。

  4/15(金) レース6日目 STAGE5 42.2km : 走りきった
    この日はマラソンステージ。目標は全て走りきること。
スタート直後は足の痛みでゆっくりとしか走れないが、次第に痛みになれて走れるようになる。
途中ハーブ畑や椰子の木陰がコース上にあり、走ることが気持ちよかった。
レース前にこの日のCP3付近は村があってここの子供たちが悪いやつが多いので注意しろといっていたのだが、ほんとに悪いやつらが多かった。私の前を走っていた女性はおしりを触られてたし、後から来た人もペットボトルなどの所持品を盗まれたりしたらしい。私も注意して走った。こんなこともあったが風も心地よく感じることができレース中はじめてステージを全て走りきることができた。
この日ひやひやしたことがあった。制限時間ぎりぎりで初参加の吉岡孝子さんがゴールしたことだ。みんな心配したがゴールを待っていた人の中には、うれしくて泣いている人もいた。自分との戦いであるレースなのだが同じテントの仲間みんながひとつになっていると感じた。
  4/16(土) レース7日目 STAGE6 20km : 245.7km走リきりました。最高のゴール
   

いよいよ最終日。
スタート前のテントにらくだがやってきたので乗せてもらった。気分がよい。

足の痛みも最終日まで耐えてくれたし、まめも治りかけていたので、今日は湿布もテーピングもなしで走ることにした。荷物もコンパクトにまとまった。最終日になってようやく身軽になった。
最終ステージでみんなモチベーションが高くスタートから飛ばしている人が多かったし、もちろん自分もそうだった。
途中、大場礼子さん見えたので、またもや歌いながら追いついた。(♪幸せなら手をたたこ〜♪)大場さんに「きたな〜」といわれて二人で笑った。笑うと元気になる。さらにスピードアップ。
ゴールまで、残り5kmをきるとなんだか名残惜しい。いろんなことが走馬灯のように浮かんできた。出場のために周りを説得したこと、トレーニングしたコースの様子、食事の献立を悩んだり、etc・・・ 恥ずかしながらサングラスの中で目から汗が出てしまった。
こんなに長い距離を走ってきたのに全く辛くなかったし、残りわずかでサハラが終わるのかと思うと、寂しいくらいに思えた。
シドニー五輪で、高橋尚子さんが「ずーっと走り続けたかった」と言っていたが、まさにその心境だ。
残り1kmをすぎるとゴールまでは全速力で一気に駆け抜けた。
ゴールテープを切るとゲートからコースに振り返り"サハラ〜ありがと〜"と叫んだ。笑顔でのゴールすることが出来た。スタッフも笑顔で出迎えてくれうれしい限りである。
先にゴールしていた前田恵実子さんがコーラをおごってくれた。めちゃくちゃうまかった。みんなははしゃいでいてお祭り気分。"お〜っ 売店でビールが売られてるじゃないか!!"もちろん、買ってみんなで美酒に酔った。
日本人全員完走。ゴールした人がそれぞれのサハラの余韻に浸っているように見えた。

■ レースを終えて

  一生に一度のことだからと思いながらいろんなことを期待して出場したが、サハラを満喫することができ、期待をはるかに超える経験が出来た。足のトラブルもあったしピンチだとも思ったが、そういう経験もまたいい思い出でである。サハラマラソンは参加する人それぞれに、それぞれの楽しみを与えてくれているんだと感じた。きっとリピーターのランナーは毎回、違ったサハラを楽しんでいるに違いない。私も一度だけでは終わりそうもない。

■ 余談ながら

  日本に帰るとしばらくは浦島太郎状態、社会復帰しばらくかかりますのでサラリーマンの方は注意が必要。
「また出てみたい」と口が滑ってしまうと、ひんしゅくを買う場合がありますのでこれも注意が必要です。

以上

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