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レース体験記:サハラマラソン挑戦記

挑戦者: 大貫 高輝(オオヌキ タカキ) 35歳 初参加
レース: 第18回 サハラマラソン
時期: (1)大会期間:2003(平成15)年4月4日(金)〜2003(平成15)年4月14日(月)
(2)レース期間:4月6日(日)〜12日(土)
(3)日本出発:4月2日(水)
(4)日本帰国:4月16日(水)
記録: (1)順位:661人中144位
(2)タイム:34時間03分36秒<ご参考:優勝タイム:18時間56分08秒>

1.出走しようと思った契機

3〜4年前に某ランニング雑誌で、本サハラマラソンの記事を初めて目にした。興味本位で大会要綱を取り寄せた。その時はそれだけで終わっていた。しかし、“ランニングライフ10年経った節目の時にでも記念として出てみようか?”との思いもよぎった。
実際ランニングライフ10周年を経て、サハラマラソンの思いが沸き上がって来た。大会要綱を取り寄せた。砂漠、酷暑、生活用衣食住背負う、1週間で240Km走・・・何もかもが初体験である。不安は多いに有ったものの迷いは無く、“現状打破”の意味も込めエントリーを決めた。

2.会場入り

スタート1時間前(右:大貫高輝選手,中央:大塚哲選手,左:早川征志選手) 日本人の女子ランナー(右:小室芳子選手,中央:羽隅順子選手,左:前田恵実子選手)

パリ経由でモロッコのワルザザード空港へ到着した選手団一行は、クーラーの効いた大型観光バスに揺られ約300Km先のエルフードへ移動した。スタート地点となるビバークポイントへは、大型観光バスは入れない為、大型トラックに乗って更に30分程移動しなければならなかった。選手団一行と彼等の手荷物は幾台ものトラックの荷台に分散された。バスとの乗り心地は雲泥の差。ゆっくり走れば良いものの猛スピードをあげて砂地のダートコースを飛ばす。トラックの荷台では、選手も荷物も10cm以上は、跳ね上げられていた。私は荷台の壁を両手でしっかり掴まった。顔など上げていられない。両手の間に顔をうずめる。四方八方から押し寄せて来る砂埃で髪の毛はもう既にボサボサ。目もろくに開けていられない。そんな中私は、「ああ、ついにサハラ砂漠までやって来た!」と実感していた。

3.レース(1週間で243km)

(1) First Stage:25Km(記録:順位176位、タイム03時間05分57秒)

661人のランナーが一斉にスタート

新シューズでスタート。 私が持参した“接着剤補強シューズ(*1)”を見た出場9回目のベテラン選手小室芳子さんから「そんなシューズでは砂が入って来るし、最終ゴール迄持たない。」のアドバイスを受け、パリのアウトドア用品店で新シューズをあがなった。
初日ゆえ出場3回目の大塚哲さんや初出場の早川征志さんと写真撮影をしながら進んだ。
履き慣れていない新シューズと、バックパック重量12.5Kg(*2)の重さが災いしてか、ビバーク後、早くも一円玉小の水泡が足にできていた。ソックスは5本指ソックスを使用。(フランクショータ製)
格好:上はメッシュのTシャツ、下はランニングパンツ。

(*1) シューズ底のラバー部分は、すり減ってシューズボディが一部見えていた。NIKE製のAir Maxシリーズだったが、Air部分とシューズボディが剥がれ掛かっていたので、接着剤で補強した。シューズ紐を通す右穴と左穴との間にある布(通称:ベロ)が、シューズボディと一体になっていなかった為、そこから砂が入って来る恐れがある。 新シューズはそれ等を一新した物。
(*2) バックパック重量
トップランナー:5〜6Kg、ランナー平均:8〜10Kg
※私が使用したバックパックは、まさしく登山用の物で、背負って走り続けた際の背中の違和感や肩への食い込み等は全く無く、非常にComfortableであった。しかし、何も入れない空の重量でも2Kgはあったのがネックである。

(2) Second Stage: 34Km(記録:順位155位、タイム04時間58分51秒)

大貫高輝選手

小室さんから推奨されパリでスパッツも購入したので装着。砂の小山が永遠と続く“砂丘列”と呼ばれるコースがスタート直後から続いた。砂地が柔らかく、足が今迄以上に捕らわれる。走ると言うよりは早歩き。しかし選手が通らず足跡の無い砂の表面は、風になびいて波模様(縞模様)が綺麗に且つ精巧に出来上がっている。黄金色の砂上のビッグな精巧波模様(縞模様)。至高の芸術作品だった。
砂丘列を終えると乾き切った川底か?拳くらいの大きさの平べったい石があちこちに有るだだっ広い大地。しかも直線。そしてまた砂丘列。ビバークポイント手前1km位の所にあった砂の小山を何とか登り終え、怯んでしまった。登り切ったので下らなければならない。しかしその傾斜が急勾配。見下ろして足がすくんでしまった。「こんな急な傾斜を下るのか!?」スボスボと砂に埋まりながらバランスを保ちながら下った。
砂丘列のコースは圧巻だった。

(3) Third Stage: 38Km(記録:順位164位、タイム05時間05分35秒)

村の子ども達も熱い声援ビバーク風景(右が大貫選手) 9人で遊牧民のテントをシェア

今迄のステージ同様、大塚さん、早川さん等と写真を取り合いながら進む。同じテントで寝食を共にしている韓国から参加の弱視者Leeさんとその伴走者Youさんから声を掛けられる。「おーぬきさんガンバー」。彼等の写真も撮った。小室さんも居た。「カシャッ!」。広大な自然、紺碧な空。風景写真も撮った。バシバシ撮った。
コントロールポスト2(25Km)手前。塩が噴き出ているのか?色が白い地面。乾き切った沼底か?大きくひび割れしている。しかも大きく波打っていてデコボコしている。表面は所々反り返っていて乾燥した薄い白土。踏み潰すと、パリパリと音がして、お煎餅を踏み付けているよう。太陽の照り返しも強い。おまけに前方から突風!日も高くなって気温も上昇。これ程きれいに悪条件が揃っているレースも初めて!走りながら不思議と20年前も昔の学生時代に憶えた英語の諺が脳裏をかすめた。「When the going gets tough, the tough get going.」(道は厳しくなろうとも、強者は立ち向かう!) 何度となく呟きながら走った。「自分はthe tough(強者)だ!」と、無理矢理言い聞かせて走った。無理矢理念じさせて走った。
コース途中、村の横を通過した。手タッチを求め、手を差し出して来る裸足の小さな女の子が微笑ましかった。手タッチをした。「アヒャッ!」と笑みを浮かべ喜んでいた。はにかんでいたのかもしれない。コースの悪い炎天下で一瞬、心、和まされた。何処の国でも手タッチは万国共通なのだろう!
ビバークポイント迄残り400〜500m位と言う地点で、先行して走っている出場7回目の前田恵実子さんを幸運にも捕らえる事が出来た。ビバーク後、彼女のビバークシーンを撮影した。写真撮影に始まり、写真撮影に終わった1日であった。

(4) Fourth Stage: 82Km (記録:順位161位、タイム13時間31分34秒)

オーバーナイト2日間レース。途中でビバークせず、1日で走破すれば、翌日は完全休養日となる。
取り敢えず、行ける所迄行く(途中ビバークしない)気持ちでスタート。今迄練習で50Km迄は走った経験はあるが、それ以上の距離を走った経験は無い。「走り切れるか?」との不安を抱えながらもチンタラ歩を進めた。途中、出場7回目の羽隅順子さんと出逢い一緒に進む。日本人選手、しかも出場経験豊富な選手が傍に居ると初出場の者に取っては心強い。
トップ50のランナーはハンディが与えられ、我々のスタート時刻9:00よりも3時間遅れの12:00スタートとなる。日が暮れて間も無く、誰も居ない真っ暗闇の砂漠の中で背後から突然、「ザッザッ」と砂を踏みしめ、トップ50のランナーの1人が現れ、私を追い抜いて行く。1歩も付いて行けなかった。しかし、男、大貫35歳。このまま大人しくしている訳にはいかない。次、来たランナーには付いて行こうと決意した。後方に気を配りながら走った。ヘッドランプの光が近付いて来た!気持ちを戦闘態勢に切り換えた!並んだ!後ろに付いてみた!速い!とてつもなく速い!まだ20Km以上も残っている。こんな速いペースのままでは潰れる。しかし、後先考えなかった!今のこの瞬間さえ走っていられれば良かった!500m位付いて行けただろうか?もう限界だった!「Thank you!」と一言残し脱落した。彼が何か奇声を発した。きっと「諦めるな!」とか「もっと付いて来い!」の意味合いな激励の雄たけびだったのだと思う。
その後、疲労がドッと出た。トップランナーに付いていた時は一時タイムを挽回した様に思えたが、脱落後は結局トップランナーに付く前のスピードより、更に遅いペースに落ち込んだ。
その後も真っ暗闇の広大無辺な砂漠の中をヘッドランプが照らす半径2〜3mの光だけを頼りに歩を進めた。
13時間30分。朝の9:00から走り始め夜の10:30。どうにかこうにかやっとの思いでビバークポイントに辿り着いた。生まれて初めて1日に50Km以上もの距離を何とか走り終え、歓喜と苦痛と疲労感を噛み締めた。

(5) Fifth Stage: 42Km(記録:順位187位、タイム05時間16分19秒)

砂漠に沈む夕陽

体は休養充分、通常のフラットロードレースのフルマラソンであれば、3時間も有ればなんとか走破出来る。しかし、これから走ろうとしているフルマラソンは訳が違う。足場は砂地で走り難い。日中の温度は40度を超える。食糧も減って来たとは言え、大会指定の必携品や調理用クッカー、寝袋、ジャンパー上下、その他諸々等で、未だバックパック重量は6〜7Kg有る様に感じる。又、一昨日、生まれて初めて1日に50Km以上を走破し、疲労も困憊状態。また何と言っても大会初日から出来上がった両足小指のマメは、最悪な事に赤く火照り、“生肉”が見え隠れし化膿していた。マメが出来上がった時から、ナンバーカードを留めている安全ピンでその都度、水だけは抜いて来たが、今は皮がめくれ上がり、辛うじて残って付いている状態だった。スタート地点迄行くのがやっとで、これから42Km走が待ち構えているかと思うと気が遠くなった。
しかし、恐る恐るトボトボ歩きからスタートし、チンタラ走っていると、神経が麻痺して来るのか?傷みが和らいだ感じになり不思議と次第に走れる様になって来る。足が動く様になって来るのは本当に不思議だった。
ところが、日が高くなるにつれて、体は徐々に動かなくなっていった。先行して走っている前田さんに1秒でも追い着きたかったが、体が思う様に動かなかった。
残り9Km位で幸運にも風が出て来た。パワーが漲って来た。残り9Kmを飛ばしに飛ばした。そのせいかビバーク後は、バッグパックを下ろす気力もなく、バックパックを枕代わりにし、仰向けになったまま暫し動く事が出来なかった。
大会終了後に聞いた話だが、この日の日中の最高気温は50度だった。体が悲鳴を上げたのも無理なかった。

(6) Sixth Stage: 22Km(記録:順位108位、タイム02時間05分20秒)

ラストランナーはラクダが伴走

先の羽隅さんが「最終日は皆、飛ばすんで速いんですよねぇー!!」と言っていたので、周囲のペースにつられない様自分のペースを守る予定でいた。守る予定でいたが愚かであった。やはり周囲の速いペースにつられてスタート直後から飛ばしていた。案の定15Km位からバテ、それ以降20人前後に抜かれた。しかし、結果的にこのステージは最もスピードに乗って気持ち良く走れた。
ゴール前2km。コースは舗装されたタザリンの町並み。周囲には地元の住民が多数繰り出していて活気に満ちていた。ゴールゲートが見えた瞬間、直ぐ後ろを走っていた外国人に「Go! Go! Go!」とあおり、人差し指では“Come on!”の仕草を行い、自らも最後の力を振り絞りラストスパートをかけた。もう足のマメなんかどうなっても良かった。ベタ足着地からつま先着地(面着地から線着地)へ切り換え残り100mを駆け抜けた。
ゲートを駆け抜けた瞬間、何とも言えない気持ちが押し寄せた。“ここがゴールなんだな!?”、“サハラマラソンを走り切ったのだな!?”。
最終ステージだけの順位は108位。大会を通じて最高の順位でゴールする事が出来た。
充足感や満足感が押し寄せて来たのは暫くしてから。そして自分はthe tough(強者)になれたのか?と自問もしていた。

持参した食糧:
アルファ米(ワカメ、白米)、インスタントラーメン(塩、味噌)、カップヌードル(シーフード、カレー)、カロリーメイトブロック(チーズ、フルーツ、チョコレート、ベジタブル)、ミックスナッツ、レーズン、シリアル(ココア)、味噌汁、ワカメ、ヒジキ、牛蒡サラダ、茎ワカメサラダ、ポテトチップス(結局、現地で捨てた!…ベテラン選手小室さんに「レースで疲れて弱った胃腸には、油が良くないので、後程、気分が悪くなる or 最悪嘔吐すると言われ。。。」)

持参した飲料:
エネルゲン粉末1パック(5袋)、アミノバイタルプロ20袋
パリで購入した食糧:KNORR製のBIVOUAC ピラフ(熱湯を注ぐだけで、出来立てのピラフが食せる。チーズ入り。非常に美味しかった。)

上記分量を7日間で上手に分散させ飲食した。「1日最低2000カロリー摂取」と大会要綱に書かれていた為、1食最低700カロリー摂取する様心掛けた。行動食は、カロリーメイト、シリアル。
日程後半、甘いフルーツ(梨や桃)などを食したくなった。今迄、塩分などを摂取して来たが、サッパリした甘い物の摂取が無かった為だろう。パリのアウトドア用品店では、水で戻すフルーツも販売していたようなので、購入しておいても良かったと後悔した。

−以上−

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