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サハラマラソン挑戦記
挑戦者: 片山忠明
レース: 第34回サハラマラソン(モロッコ)
期間: 2019年4月5日~15日 7日間6ステージ走行距離合計:250Km
成績:
総合順位731位 合計タイム:63時間22分48秒
70歳以上:8人中7位 1名リタイヤ
日本人ランナー:26名(内棄権1名)

片山忠明片山忠明 片山忠明

私は70歳の中小企業経営者です。ウルトラには100キロ超を何回挑戦するも1回しか完走できず。ここ数年は年に数回しか大会にもエントリーせず、練習も通常は月100キロもしていない「ダメおじんランナー」です。
サハラに挑戦しようと思われている、誰かの何かの参考になればとの思いで投稿します。
過去の挑戦記とかなり違う内容になるとは思いますが、おゆるし下さい。

今しかない

とにかく今しかないという思いでエントリーしました。

当初の目標は2020年35回大会、日本では東京オリンピック。

いやいや実は2001年に日本事務局に問い合わせていますから、すでにその頃挑戦を考えていたと思います。18年前52歳の年であります。当時は会社経営も苦境の中、長期の休暇とそれなりの費用を思えばとてもとてもエントリーは考えられず、目標を60歳還暦の年としたのを覚えています。しかし還暦もいつしか過ぎ去り、それなら65歳と目標を再設定。しかしその目標も実現できず。そのことを知人に話しますと「まずは決めること」そして「紙に書いて張る」「人に言いふらす」と教えられた。紙に書いて自分の机の前に張り、名刺も2020年サハラ出場と画像入りの物を作り、名刺交換のたびに「2020年サハラ砂漠マラソンに挑戦します」と言い続けてきました。

それがなぜ今年2019年に挑戦?

体力の衰えが日増しに感じるようになりました。2020年には体力だけでなく状況もどうなっているかわからない。

決めるのは今だ!

なぜにウルトラ?なぜにサハラ?

学生時代は陸上部、とここまで言いますと、「ああやはりそうですか」
いやいや陸上部でも私は短距離400M、長い距離は大嫌い。
しかし短距離でもシーズンオフには長距離走を練習します。
卒業間近のある日、クラブの友人とロングラン。どちらからともなく、「いつかフルマラソンを公式タイムで走りたいね」
公式タイムとは公式競技で走らないといけません。今と違って公式競技も少なく足切りもあって簡単にはエントリーできません。
そんなことをロングランをしながら話していました。
時は流れ平成、私は経営に行き詰まり、これからの会社経営をどうしましょう、と頭をかかえていました。
そんな時にふと昔の言葉を思い出しました。「いつかはフルマラソンを公式タイムで走りたいね」
これは私が走れば実現できることだ、これすらできないようではなにもできない。
その思いでフルマラソン、ホノルルマラソンにエントリーしました。
練習もそこそこ、シューズもその辺にあるそこそこ、ランパン・ランシャツは現地で購入。現地で購入したウエストポーチに、「写ルンです」とバナナ。ほんまに遊び気分でスタート。
「なんとかなる」「あかんかったら歩けば良い」となめてかかったホノルルマラソン。「あかんかったら歩けない」7時間48分で正に泣きながらゴールしました。「もう二度とマラソンなんかしない」心に言い聞かせながらのゴールでした。しかし、しばらくするとあまりにも無様なレースに発奮。練習も積み10キロ・ハーフ・フルと月2.3回は大会にエントリーしました。しかしどう頑張ってもフル4時間を切れない。そしてウルトラの世界へ。そしてその延長線上にサハラが出てきました。

準備・練習編

私の練習は全くあきません。特に肝心の2018年暮れは体調を崩して全く走れませんでした。
通勤ラン以外の主たる練習は10㎏を背負って30キロ走。やはり負荷をかけての往復10キロの山登り。
恥ずかしいですがサハラ出場を決めてからの練習データーを公表します。
2018年4月85キロ(30キロ走1回)・5月70キロ(同1回)・6月126キロ(同2回)・7月154キロ(同2回)・8月171キロ(同2回)・9月キ86キロ(同2回)・10月0キロ・11月52キロ・12月120キロ(同1回)・2019年1月212キロ(同1回)・2月248キロ(同5回)・3月171キロ(同4回)。
2019年になって付け焼刃的に練習しているのがよくわかります。ほんと恥ずかしい限りです、私の性格が良く出ています。私は練習内容をfacebookにアップしていますが、ある時「片山さん、この練習内容ではオーバーナイトステージでの完走は無理ですね」「ひょっとしたら第一ステージも無理かも」正直大変ショックでした。でもここまではっきり言われたことで、開き直りました。やれるだけやろう。このあと練習中はこの言葉をかみしめて走りました。「がんばれ」「がんばれ」この書き込みのおかげで練習を励みました。こんな練習量でも完走できたのは事実です。

準備・装備編

出発日前日までゴソゴソと準備。
色々と持っていきたい、でも重くなるどうしましょう?
常にこの繰り返しでした。
デジカメ二台(静止画と動画用)アイフォン撮影用(代替えで壊れてもよいもの)これだけでも重かったですね。結果デジカメ一台はすぐに壊れました。
ランニングの着替えは一式持っていきました。これは個人差があるでしょう。特に靴下は砂だらけになり履き替えがあって助かりました。
寝袋は冬用とはなっているが安物。エアマットは持参せず。
とにかく想像以上に寒かったことが誤算でした。
寒さ対策を考えればもっと上質なものが必要でした。
ただ気候はその年によってかなり違うみたいですので、どんな場合でも対応できるようにしておく必要があります。
何より砂対策のゲーター。
自分でかなり強力な接着剤で付けたつもりでしたが、後半は半分以上とれていました。やはり縫い付けが必要です。
砂の流入でこれだけ足がやられるとは予想外でした。

装備・食料編

食料はカロリーと重さの確認の日々。
カロリーと重さをあまりにも神経質になりました。
もっと好きなものを重視で選ぶべきでした。
特に装備の重さを考えてコンロや固形燃料を持参せずに水だけで戻せる食料にしたことも反省点です。やはり食事は美味しく食べることが明日へのエネルギーにつながります。
テントのメンバーか美味しそうなカレーを作っていると、カレー好きの私はたまりませんでした。

とにかく完走を目標に

今まで完走を目標にしたことはあまりありませんでした。
おかしいと思いますが、それは事実です。
完走は当たり前の目標だからです。
私は出場することが主たる目的で、スタートラインに立てば幸せでした。
ところが今回は完走が主たる目的となってしまいました。
皆さんの応援にこたえるためにも完走する、いやしたい、いやせねば!
こんな気持ちになったのは初めてです。結果、完走できました。

レースを振り返って

すみません。正直あまり覚えておりません。
先ほど言いましたように完走だけが目的。
常に「完走!」「完走!」と胸に言い続け、各ステージのゴールは考えず書くステージのチェックポイントの通過ばかり考えました。
「次は考えるな!」「このチェックポイントを通過しろ!」
良いか悪いか、でもこのおかげでで完走できました。
だから完走の感激は今までとちがいました。

各ステージ

大会主催者のHPには今回のコースやタイムリミットが詳しくアップされています。
また各ステージのコースや内容は毎年変わりますので、今回その内容を詳しく書くことは、あまり参考になるとは思われませんので省きます。

特徴的なことだけ記載します。

延々と続く砂丘13キロはほんと心が折れそうになりました。
ただものすごく美しい砂丘です。「流石!サハラの砂丘だ」でもカメラを構える余裕は全くありませんでした。
通常歩く速度は1時間4キロ、つまりキロ15分。私は砂丘を歩く中で測ってみました、なんとキロ25分。なんと4キロを通常1時間のところが1時間40分もかかる計算です。
この13キロに及ぶ砂丘のコースを終えたとき、なぜか「完走」の文字が頭に浮かびました。このコースを制覇した!

オーバーナイトステージ

この大会の目玉、一晩走り続けるステージです。
今回はいつもより少し短い76.3キロ、制限時間31時間。
とにかく夜通し走らないと、いや歩き続けないとだめなステージ。
私は長い距離の経験もあり、一人で100キロを歩いた経験もあるので、そう不安は感じませんでした。ただ前日までのステージで体力を使っている。その不安は当たりました。休憩なしで走り、歩き続けましたが、疲れと睡魔で目を開けているのに目の前が見えませんでした。コースは薄いライトで示されていますが、それも疲れて見えない。夜通し走るコースなのに、なんでこんな岩ゴロゴロおまけに急登坂ありのコースはなんやねんと、ぼやきながら前進前進また前進。
オーバーナイトステージは休憩さえしなければなんの問題もありません。ところがこのステージを乗り切ったことで安心しました。

最終ステージのフルマラソンは少し違いました。

オーバーナイトステージを走り切ったことで正直安心しました。
これで完走できた。あとはフルマラソンだけだ。これが大変間違いでした。
最終ステージフルマラソンはある意味一番きついコースではないか?
体力は落ちているし、足はマメだらけ、そしてフルマラソンの距離。
始めは平たんな砂利道が続きます、これで狂わされました。最後だからそれなりのサービスコースかしら?
しかし、直ぐにロープを伝わないと登れない急登坂。
そして砂丘、砂丘。そして岩々の急登坂、急傾斜。
もうええんとちゃいますか、最後の最後にこんなコース設定にしますか、
主催者パトリックのあの優しい笑顔がチラチラしました。
「もうわかりました」「もうサハラは十分です」「もう二度と走りません」
そしてあと10キロ手前で時計を見ると制限時間ギリギリ。
いやもう間に合わない。「もういいや、ここまでがんばったもの」
「制限時間に間に合わなかってもいいや」との言葉脳裏をかすめました。
いままでの私のパターンです。最後の詰めが甘い。心が折れてしまう。
スタッフが、近づいてきて叫びます。ことばはわかりません、でも「がんばれ」と言っているのはわかります。「手をだせ!」何がカプセルをくれます。ひょっとしてヤバいものか、ありがたくいただきました。
少し行くと関係者の車両が私の横に付きます。「あと○○キロだ、何分だ!」その時は覚えていたのですが今振り返っても何キロ何分はわかりません。
でも「あと3キロだ、走れ!」「止まるな!」は覚えています。
「ドントストップ、止まるな」「キープランニング、走り続けろ」走らないとあかんのはわかっていますがな、でももう走れませんがな。
すると車両のドアをどんどん叩いて「走れ!」「止まるな!」「この車のスピードで走れ!」いつの間にか回りの車両も増えています。ヘッドライトをつけクラクションを鳴らし「ゴーゴー」の声援。まるで映画のシーンみたいです。ともかく走り続けました、人間火事場のくそ力かしら、走れるものですねえ。フラフラしながらゴールしました。
11時間54分、制限時間6分前、時間内に完走できました。
大会関係者の皆さんありがとうございました。

反省点

山ほどあります。書けばきりがありません。
装備 寒さ対策 寝袋 敷きマット
シューズは何よりも砂対策、ゲーターの取り付けはプロに。
食料 食べれるものではなく美味しいもの

この大会で日本人リタイヤが1名出ました。

サハラマラソンと同じ名前の御仁です。実力では私は彼の足元にも及びません。ところが最終ステージでは相当足を痛めていて歩くのも精いっぱい。
最終ステージはフラットな砂利道からスタートです。彼と二人で色々とお話をしながら歩いていました。私の歩くスピードは大変遅いのですが、彼は付き合って歩いてくれました。これがお互い大誤算。突然関係者とラクダが現れました。「ええ!最後尾!」いやいや私たちの後ろには確か10名ほどはいるはずです。ともかくラクダ、ラクダは最後尾に付くはず。ここでお互い気が付きました。制限時間がヤバいのではないか。彼は急に早歩きになりました。この後は彼と私は前後してゴールを目指します。最終CPを過ぎて、岩だらけの急登坂を過ぎた時はたまたま私が前を走っていました。ふと後ろを見ると彼の横に関係者車両。何か彼と話しているようです。私も時間がギリギリなのでじっとしているわけにもいかず先を急ぎました。少しして振り向くと彼の姿はなく関係車両だけ。リタイヤさせられたようです。事実そこでリタイヤでした。「あと少しだから走らせて欲しい」と頼んだがだめとのことでした。最後の最後まで一緒に走っていたのに、なぜか見捨てたみたいで大変心が痛みました。申し訳ない、私がリタイヤをすすめられていたのかもしれない。

サハラが呼んでいる

大会が終わって後片付けをしていますと、洗い残しの靴下とゲーターが出てきました。洗っても洗っても水が赤い!サハラの砂だ!
「サハラが呼んでいる!」参加者のブログや書き込みに「サハラが呼んでいる」とのフレーズがありましたが、正に呼んでいました。
大会最中も終わった直後も、もう二度と走りたくないと思っていたのになぜでしょう。これがサハラの魅力かしら?

最後に

完走だけを考えるなら難しくないと思います。私は最後尾ランナーや最終ステージでのリタイヤランナーのデーターを調べました。キロ15分で歩けば完走できる。つまり1時間4キロ、通常の歩くスピード。キロ15分で歩けないコースもあるから走れるところは走る。でも無理をして走らない、少し走って歩く。走り続けることができるところでも「走るな走るな、無理をするな」「完走、完走」と思い続けました。完走だけを考えた守りの走りです。完走したから偉そうに言うのではありません。守りの走りは面白くありません。でも今回攻めの走りをしていたら完走はできなかったでしょう。難しいですね。さて、次回チャンスがあれば、どうしましょうか?

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